月夜夢幻 〜第六話 一夜明けて、朝がきた。 いつものように練習を始めたものの、どこか空気が浮き足立っている。 無理もない。昨夜立て続けに起こった怪現象のせいで、皆あまり眠れていないのだから。 倒れている手塚を発見して、担いで部屋に戻った。するとそこには、自分達の持ってきたボールが撒き散らされていた。 誰もいないはずなのに。 (ここには何かあるのかもしれない) 誰もが不吉な予感を感じつつ、それでも口に出せないでいた。 「大石ぃ、不二がいないんだけど・・・」 ぶらぶらとやってきた英二が、コートを見回して首をかしげた。 「ああ。手塚の目が覚めるまで、そばに着いてるって」 ここにはいない二人を心配するように、大石は目を細めた。 手塚は、朝が来ても目を覚まさなかった。 頭を打っているのでは、と心配する面々に、不二は練習を休んで様子を見ると言い出した。 眠る手塚の枕元で、じっと座っていた様子が思い出される。 いつものように笑っていたが、不二も内心では相当心配しているだろう。 「・・・手塚、死んだみたいに眠ってた」 「英二!」 「不謹慎なのは分かってるよ。でも・・・やっぱり、このペンション変だよ。まさか、本当にここ“出る”んじゃ・・・」 「英二」 噛んで含めるような大石の声色に、英二は言いかけた言葉を呑み込んだ。納得していないことは明らかだ。大石だって、もしかしてという思いがないわけではない。 ―― それでも、部員を動揺させるようなことは口に出せない。副部長の責任だ。 三泊四日の合宿。顧問とはなぜか連絡が取れない。 そして昨夜の、説明のつかない怪現象。 不安は山のようにある。 「おてんと様もつれないね〜」 不意に聞こえた明るい声に、大石は顔を上げた。思考のどつぼにはまりそうなとき、この目の前のパートナーはそれを察して、よく何気ない言葉をくれる。 「ほら、今日の曇り空。嵐でも来るんじゃないの?」 たしかに、今日の空はのしかかるように重い灰色だ。日差しも真夏とは思えないほど弱い。昨日着いたときは、あれほど照りつけていたのに。 「そうだ、な・・・?」 ハッと、大石はあることに気づき、愕然とした。 (そんな、まさか・・・) 部員を動揺させるようなことは言わない、そんな誓いも思わず忘れてしまった。 「英二・・・」 「ん?」 「今朝になって一度でも、蝉の鳴き声を聞いたか?」 「え・・・?」 「昨日ここに着いたときは、うるさいくらい鳴き声がしてたよな。どうして今日は、こんなに静かなんだ・・・?」 二人の会話を離れて聞いていた越前は、そっとコートから離れた。 ポーン、ポーンとラケットでボールを弾ませながら、一人水飲み場に向かって歩く。 今日はいまいち練習に集中できない。自分だけでなく、全員がそうだろう。 「・・・やな感じ」 決勝前に、意気込んでやってきた合宿だったのに、妙なトラブルが続いている。モチベーションが下がってしまう。 「・・・幽霊騒動にはもう関わらないって決めたのに」 ぽつりと独り言を落とした。 越前はふと足を止めた。水飲み場に、先客が来ていた。 「海堂先輩ないスか」 バシャバシャと顔に水をかけていた海堂が、バンダナで顔をぬぐいながら、ゆっくりと振り返った。 「・・・キサマか」 一瞥だけすると、また視線を外す。 海堂がこんな調子なのはいつもの事だが、越前は一つ引っかかるものを感じていた。 「・・・海堂先輩」 「だから、何だ」 焦れたようにこちらに向き直る。他の一年生なら怯えて飛びのくところだろうが、越前はまったく動じない。 「なんでこんなところにいるんスか、乾先輩とダブルス練習してる時間のはずでしょ」 「・・・先輩が、気になることがあるってどっか行っちまったからだ」 「ふーん・・・」 越前は宿舎のほうをちらりと見た。そしてまた、海堂のほうに向き直る。 「ねえ海堂先輩、聞きたいことあるんスけど」 怪訝そうに海堂は見返してくる。 「昨日、風呂で俺と目が合いましたよね」 風呂の中で金縛りにあった越前に、海堂は気がついていた。 「・・・・・・」 「部屋でもアンタ、俺に何か言いたそうだった」 「何が言いたい」 ギラリと鋭い視線が突き刺さる。しかし、確信を得ている越前は静かに言い放った。 「海堂先輩、アンタは俺と同じで、見える 人なんじゃないスか」 一方、その頃。乾は、ぐるぐると宿舎の中を歩き回っていた。本人としては探索のつもりだ。 (・・・どうなってるんだ) このペンションは妙だ。昨夜の妙な出来事もそうだが、メンバーが妙に大人しいのも気になる。越前も様子がおかしいが、それにもう一人。 「海堂は、大丈夫かな・・・」 この合宿が始まってから、何となくだが彼の様子がおかしい気がする。尋ねても「何でもないっス」の一点張りだ。 「あいつは我が道を突っ走るタイプだが、その割に過敏なところがあるからな・・・」 これしきのことで自分のペースを乱す奴ではないと、信用してはいるが・・・。 『ゆすはらペンションで合宿したら、試合に勝てなくなるってジンクス』 昨夜聞こえてきた、不二の妙な話は、まさかこのことなのか? 「あ」 乾は目的のものを見つけ、足を止めた。 廊下の端に置かれている、古ぼけたピンク色の公衆電話。 「あったあった」 指先で携帯電話を弄ぶ。山に近いせいか、ずっと圏外だったのだ。 「・・・あれ?」 受話器を耳に当てた。しかし、うんともすんとも言わない。 乾はゆっくりと視線を下に降ろした。 電話線が、ばっさりと切られている。 「これは・・・」 乾はしゃがみこんで電話線を指で掴む。切り口は、まだ新しい。 「なぜ・・・」 「手塚っ・・・!!」 そのときだった。奥の部屋から、不二の悲鳴が聞こえた。 「・・・ん?」 今、何か声が聞こえたような。 宿舎の玄関まで来て、越前は奥を覗き込んだ。乾のいる廊下から離れたこの場所では、はっきりと声は聞こえなかったのだ。 (まあ、いっか) とりあえず気にせず、中に踏み入った。 越前には目的の場所があった。渡り廊下を通り、階段を昇る。 そうしてたどり着いたのは、何もない廊下の隅。 「ふーん・・・」 越前はその一角を見回した。 この辺りだ。昨夜、部長が倒れていたのは。 何もない、大きな窓だけがある廊下の片隅。 昨夜見過ごしたものがあるかもしれないと、こうして足を運んだのだが。 「昼間でも暗いし・・・」 廊下はシンと静かだった。自分たち以外には、客も誰もいないのだ。 ふっと視線を上げた。 すると、見慣れないものが目に入った。 「・・・何、これ」 壁の上、その天井に近い部分に、木で作られた小さなお宮があった。 (カミダナってやつ・・・?) 帰国子女で、家が寺の越前にはあまり見慣れないものだったが、それは神棚のようだった。 白い壺のようなものが乗って、お札みたいなものが貼ってある。御幣のついた榊もさされている。 全体的に古びた家の中で、それだけは妙に新しい。 (・・・まただ) 越前は顔をしかめた。 自分と、おそらく海堂しか知覚できないこの感覚が、また足元から這い上がってきた。 神棚の上の小さな壺が、ぼんやりとした光を放ち始める。 (――来た) 越前は身構える。やがて淡い光は、白いもやになって、神棚全体を取り巻き始めた。 「ねえ」 いつもどおりの不遜な態度で、越前はそれに向かって呼びかけた。あたかもそこに、誰かがいるかのように。 すると、かすかな反応があった。 白いもやが、ぐらりと揺れる。 ふわり ふわり ふわり ふわり 白いもやはだんだんと形を変えて、やがて、一人の子供の姿になった。 越前は冷めた目で、それを見た。 自分と同じくらいの背丈だ。中学生になっているかいないかくらい。 もっとも、“生きていた頃は”の話だが。 白いもやから少年になったそれは、ぼんやりと越前に目を合わせた。 昨夜会った、あの少年だった。 こくり、と小さく息を呑む。 「――名前は?」 キャップに手をやり、越前は尋ねた。 目の前の少年から、感情のこもらない声が返ってきた。 『 ・・・カヅキ 』 ←back++ *index* ++next→ |