「手塚!」
「何やってるんだ、そんなところで」
二人で声をかけながら歩み寄ると、手塚は初めて気が付いたのか視線を投げ返した。
彼も二人と同じく学生服姿で、部活には出ていない様子だった。
「不二、乾」
「何持って・・・資料?」
手塚は手に数枚の書類を抱えていた。
「ああ、藤平先生に放課後までに提出するように言われてたんだが・・・遅かったな」
電気のついていない、人気のない生徒指導室。
藤平先生の机はここにあるのだが、今日の放課後は連絡会議がある。普段は指導室にいる先生たちも皆出払って、階下の会議室に詰めているだろう。
「鍵が掛かってる・・・こりゃ入れないな。会議が終わるのは夜だろうし」
「急ぐの?それ」
「いや・・・仕方がないな。明日朝一番に持ってくるしかない」
「怒られるんじゃない?」
「それはそうだが・・・」
「いや、ちょっと待て」
手塚と不二が振り返ると、乾はすぐ指導室のすぐ脇に置かれている、木製の棚のガラス戸を開けていた。忘れ物のビニール傘やらぼろぼろのハンカチやら、落とし主の見つからない遺失物をまとめて放り込んでいる戸棚だ。
そこから一本のヘアピンを見つけて取り出すと、乾は得意そうな顔でそれをぐねぐねを折り曲げ始める。
「い、乾、まさか・・・」
「そのまさかだ」
「お前は空き巣か」
「心外だな。鍵っ子だったから、自分の家のドアを開けるために覚えたんだ。一度他のドアで試してみたかったんだよ」
楽しそうな表情に、単なる言い訳にすぎないことを察した不二は肩をすくめる。

乾が格闘する事数分。

あたりの目を気にしながら、三人はこっそり無人の指導室に侵入した。


そして更に数分後、ちゃっかり自販機でパック牛乳なんかを買ってきた三人は、すっかりくつろいでいた。
「俺はもう用事は済んだんだが」
「まぁ硬いこと言うな手塚。誰もいない生徒指導室なんて、そうそう入れるもんじゃない、見るものは見ておこう」
「試験問題があるわけじゃなし大して面白いものはないけどね。普段すごく緊張して入る部屋だと思うと、スリルあって楽しいかも」
パックのレモンティーを飲みながら、不二は楽しそうに笑った。
ちなみに乾はカルピス、手塚は緑茶である。

「そういえば不二、結局何だったんだ?トラブルって」
「トラブル?」
手塚が怪訝そうに尋ねた。
「ああ・・・」
さて、別にどうでもいいことなのだが。言うべきか否か不二は迷った。
部活に行けなくてがっかりしていた。せっかくのこの少しのスリルとワクワクした気分を、消し飛ばせたくはない。
「・・・大した事じゃないんだけどね」
それでも。
手塚に、乾。
自分の笑顔ではない顔も知っているこの二人になら、話してもいいような気がした。

「教室に飾ってた集合写真になんだけど、いたずら書きがされててね」
「ああ、なるほど・・・」
「黒のマジックでぎゅ〜って塗りつぶされてたんだよ、ボクの顔のところが」
乾が何か言おうと口を開いて、また閉じた。
手塚は眉一つ動かそうとしなかった。
「驚かないんだね、手塚」
「・・・そもそも俺が今日部活を休んだのは、職員室に呼び出されていたからなんだが」
そのときに、不二のクラスの担任が沈痛な面持ちで入ってきた。担任の声は抑えられていたけど、たまたま近くにいたせいで、自分の耳に届いたのだと。
今日、不二の身に起こった事を手塚は知っていたのだ。先ほどからそんなそぶりはカケラも見せなかったのに。

「・・・やった子ね、前にボクに告白してきた子だったんだ」
それまでは、席が近かった事もありよく話していた。けれど自分は断った。
「それからも友達として付き合ってたつもりだった。けどボクが誰にでも笑顔を向けるのを見て、めちゃめちゃにしてやりたくなったんだって」

“ごめんね、ごめんね不二くん、あんなことして・・・”

“ごめんね・・・”



「女は難しいな。嫉妬は女に限らないだろうが」
「まったく。部活にも行けないし、参ったよ」
「それで?」
「え?」
手塚の瞳が、真っ直ぐ不二の方を向いていた。
「それで、お前はどうしたんだ?」

もちろん許したよ。気にしないでと答えたよ、笑顔で。だって他にどうやりようがある?第一、自分にとっては・・・

不二はそれには答えず、ブラインドを半分ほどまで引き上げた。
圧倒的な夕日が差し込む。
床も壁も、自分たちの顔も、皆夕焼けのオレンジ色に染まる。
「すごいな」
「え?」
手塚が、窓際の不二の元に歩み寄った。
「元々色が薄いが・・・日が当たって尚更光っている」
長い指が、自然にさらりと触れた。

「金色だ」

その指先があまりに自然に伸ばされたから、不二は動けないまま呆然と手塚を見上げた。


次の瞬間、廊下にがやがやと話し声が響いた。
「やばっ!」
「先生か?」
「隠れて!!」
乾は机の下に。不二はロッカーの陰に。気付くと隣に手塚もいた。
話し声は教室の前を通り、少しずつ遠ざかってゆく。
「先生が帰ってきたわけじゃなかったんだな」
「しっ!」
用心して、話し声が完全に聞こえなくなるまでは動かなかった。一瞬ドアの擦りガラスに人影が映ったが、また足音が遠ざかってゆく。

「かくれんぼしてるみたいだね」
「・・・?」
「あの見つかるか見つからないかドキドキしながら隠れてる瞬間。今まさにそれだよ」
話し声も足音も完全に聞こえなくなってから、三人はゆっくりと体を起こした。
「潮時だな。出るか」
痕跡は残さずに。でも、飲み終わったパック牛乳を置いていくのはちょっとした悪戯心。

「ね、手塚」
声をかけると、前を歩く背中が振り返った。
「今日、ボクが腹が立ったのは、部活に出られなかったことなんだ」
他のことはどうでもよかった。
「君と試合、してみたかったのに」
それが一番悔しくて、それ以外は何もかも、自分に向けられた悪意すらどうでも良かった。

「・・・するか?」
返ってきたのは、いっそ清々しいほどの返答だった。
「これから、コートに行くか?」



“お前の実力が見たい”


ボクは口説かれたと思った、あのとき。







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