両脇の木からジリジリと蝉の声が響く。 ジリジリジリジリジリジリ・・・ まるで世界にその音しかないように、耳の奥で反響している。 「うるさい・・・」 「蝉の声が、か?」 「頭ン中せみの鳴き声で一杯っスよ。いったい何匹いるんだか」 越前はタオルで汗をぬぐいながら、嫌そうに顔をしかめる。 「これが日本の夏だ。なにせ山ン中だからなー」 そう言って桃城はラケットバッグと荷物を肩にかけなおす。軽くはないのに、桃城は彼らしく快活な様子を崩さない。夏生まれだから、暑さにも強いのだろうか? 軽く夏ばて気味だった越前は、聴覚を支配されそうな蝉の鳴き声にうんざりしていた。 「越前、大丈夫か?具合悪いのなら少し休むか?」 少し前を歩いていた大石副部長が、心配げに越前の顔を覗き込んできた。 いつでも気配りを忘れない人だ。まして、これほど暑ければ自分だって辛いだろうに。 「・・・平気っス」 本当はちっとも平気じゃなかった。確かにここ数日、慣れない日本の湿気を含んだ暑さと地面からの照り返しにほとほと参っていたところだった。 (暑い・・・) ―― しかし、この感覚は何だろう。いくら自分でも、昨日はしっかり睡眠もとったし朝も食べた。それなのに体がやけに重い。 山道で坂になっているせいか、ますます足取りが重くなる。 体調が悪い、なんて。絶対に言いたくなかった。この人たちの前でだけは。 「おチビってば、これから合宿だってのに大丈夫にゃのー?」 「だから平気ですって・・・うわぁっ!?」 突然あがった高い声に、先を歩いていた3年生たちも一斉に振り返る。 「あ、俺コイツ背負っていきますんでー」 「なっ・・・ちょっと、離し・・・!」 越前の体は、軽々と桃城に担がれていた。 「お前なー、昨日どうせゲームやってたんじゃねぇのか。遠慮しないで甘えとけ」 それはそうだね、と不二がくすくす笑っている。 「レギュラー強化合宿に来て練習できません、じゃ洒落にならないからね」 不二がさりげなく毒を吐く。案外彼もこの山道に疲れていたのかもしれない。 率いる部長がため息をついて、前方を指し示した。彼は、山には慣れているのだ。 「――あそこが宿だ」 鬱蒼と木が生い茂る山の中、小さな宿泊施設とフェンスで囲まれたテニスコートが見えてきた。 青学テニス部、恒例レギュラー強化合宿。 全国大会を目前に控え、気合を入れたメンバー達は一日中テニスに集中できる合宿に勇んでやってきた。 場所は山間の小さなペンション(というほど洒落たものでもないが)で、テニスコートがきちんと隣接している。 よく言えば趣があるが、悪く言えば少々古い、ひなびた造りの木造建築だった。 「ゆすはらペンション」、と古ぼけた看板がかかっている。 周りは木々に囲まれていたが、テニスコートに面した南側だけは開けて景色がよくなっていた。地上に街を展望できる。 バスを途中で降りた面々は、長い上り坂を登ってきたのだ。 「ほっ、ほいっと♪特製ふわふわオムレツ完成―!」 「おー!上手いっスね英二先輩!」 台所では随分と楽しそうな声が響いている。 本日の調理班は英二と桃城だ。残りのメンツはすっかり腹を空かして、食堂の長いテーブルに腰掛けていた。 「しかし、着いて早々の夕食になっちゃったな」 「午前の部活に出てから出発したもんね、仕方ないよ」 カーテンを開けて外を見ると、とっぷり日が暮れている。2階のベランダから臨めば、遠くに町の灯りを見られるだろう。 「越前、まだ寝るなよ」 「・・・こんな山の中で合宿するんスね」 まだ体がだるいのかテーブルに突っ伏してしまっている越前が、ずっと思っていたらしい疑問を口にした。 確かにテニスコートはあるが、あたりに民家もなく、避暑地にでも使われてそうなところだ。 去年は海が見えるリゾートホテルだった、と桃先輩から聞いたのに。 「ボクたちが一年のときはもうホテルだったから、このペンションに来るのはみんな初めてだよね」 不二が乾にふると、ああ、それなら、と答えが返ってきた。 「もともと青学は、レギュラー強化合宿だけは伝統的にここを使っていたらしい。小さいところだから部員全員は無理だけど、 街から離れてるから集中できる、ということでね。ただいつ頃からかホテルに変わってしまって、今年は特別に来たんだそうだ」 「特別・・・?」 「ここは来年取り壊されるんだそうだ」 他の面々も知らなかったのか、へえ、と声が上がった。 「取り壊されるって、どうして?」 「この山を高速道路が通るらしい。来る途中にも、建設予定の看板があったよ」 この山奥にも、開発の手が及ぶらしい。長年続けたペンションも畳むと言う。 それでか、と越前も納得の言った顔になる。大石が人のいい笑顔で微笑む。 「竜崎先生、きっと懐かしくなったんだろうな」 「・・・しかし、遅くないか?」 手塚が腕時計を見て、眉間に皺を寄せた。 「・・・そうだな、後から追いつくと言っていたのに。遅いな、先生」 いい意味で放任主義の顧問だったから、自分達だけでも合宿には特に支障はない。それでも、少し心配だった。 「お待たせしましたー!!」 桃城が顔を出して大声で叫ぶ。 そう広くない台所に全員が出入りするわけにも行かず、結局バケツリレー方式で英二がどんどん皿を渡してきた。 「・・・なんだこれ?」 「えっへーん!英二特製オムカレーだにゃ!」 見れば、カレーライスの上に半熟たまごがトロリと乗っかっている。付け合せはシャリシャリした夏野菜のサラダにやはり特製フレンチドレッシング付き。 満面笑顔の英二が自慢げにVサインした。大石がそれを見て、おいしそうだね英二、と手を振っている。 ・・・新婚家庭にお邪魔した気分。 調理を手伝った桃城までそう感じてしまうのだから、始末に終えない。 「「いただきます」」 別にあわせているわけでもないのに不思議と声が揃った。 「海堂はカレーにはソース派?それとも醤油派かい?」 「・・・そんなデータとってどうするんすか」 「おいおい、おれの特製オムカレーだぞ!何もかけずに食えよ!」 一方隣では。 「・・・不二、何にでもタバスコとからしマヨネーズをかけるな」 「ていうか持参してるんスか・・・」 平和な夕食が終わり、片づけを終えてそれぞれ部屋への足取りも軽い。 仮にも全国大会を控えているのだから羽目を外しては大変、と管理職Sが決定したのは全員が寝起きできる大部屋だった。 もし二人部屋なら、悲しい事にこの青学男子テニス部において組み合わせは見えている。 全国大会を控えているのに、足腰が立たなくなっては笑い話にもならない。 部屋は食堂とは別棟にある、何畳かは不明だが男8人が寝るには十分な広さだった。 風呂に入る者、布団を敷き始める者とそれぞれ行動し始める。 全員が落ち着いた頃には、きっと誰かがトランプをやろう!などと言い出すだろう。 自分も風呂に入る準備をしている不二が、隣の手塚に話しかけた。 「・・・修学旅行の夜ってこんな感じだろうね」 「そうだろうな」 “感じ”と曖昧なのは、自分達の修学旅行は台湾だったため、ビジネスホテルでこんな大部屋などではなかったからだ。 「枕投げとかやるのかな、でもボク低血圧だからほどほどにしてもらおっと」 夜中遅くまでも騒いでもけろっとしてるタイプと、我関せずでさっさと寝てしまうタイプとがよくいる。 しかし手塚には、「眠れないんだけどな」オーラで周りを黙らす不二の姿が頭に浮かんだ。 ―― もっとも、自分もさっさと寝たいほうだから特に問題はないか。 それで片付けていいのか疑問が残るが、これぐらい神経が太くないとこの個性的と太字で書いた集団をまとめることなど出来はしない。 「でも手塚、ボク変な噂聞いたことあるよ」 不二が妙に神妙な顔になった。 「・・・なんだ」 ボクは馬鹿馬鹿しいと思うけど、と前置きして。 「この“ゆすはらペンション”で合宿したら、試合に勝てなくなるってジンクス」 *index* ++next→ |