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「不二、さん・・・」 静かに開いた扉の向こうに、現在の館の主人が佇んでいる。 そしてその脇にある手術台に、寝かされているミズの姿。 呆然としていた大石も、その姿に目が覚めた。 「ミズさん・・・っ!」 傍に駆け寄って、彼女を抱き起こしても。意外なことに不二は何も言わず、ただ大石の動向を見守っている。 「ミズさん」 抱き起こした彼女の体は、ぴくりとも動かない。猫のような大きな瞳も、今は閉じられている。 ミズを抱きかかえたまま顔を上げると、そこで初めて不二と目があった。 「主電源を切ってあるんだよ」 「え・・・」 「これから、修理を行うからね」 『修理』という言葉に、ぞっと背筋に悪寒が走った。 不二から守るように、ミズを抱きしめる腕に力がこもる。 「さっきの、手塚の話は・・・本当なんですか」 一つ一つ、区切るように口にした言葉は、存外にあっさりと肯定された。これが現実でなければと願っていた大石の思いを他所に。 「そうだよ。ミズは父が造った、英二の心を持つアンドロイドだ」 「・・・じゃあ、菊丸英二は」 「さっきあなたが見たとおりだよ」 不二の白い手が、人形のような白い指が、手塚の立っているほうを指し示した。 「使われなかった他の部分は、あの植物の墓場に眠ってる」 不二の美貌も、やはり手塚と同じく何の感情も映し出してはいなかった。 「アンドロイドに脳を移植するなんて奇天烈なこと、どれほどの研究が必要か分かるかい。実験台にされた人たちは、みんなその部屋で眠ってる」 「あの墓場には、ボクと父の罪が眠っているんだよ」 「・・・てる」 静かな空間に、わずかな呟きが漏れた。不二が怪訝そうに大石を見下ろしてくる。 「・・・狂ってる、と言ったんだ!」 ぎゅっと、力の限りに。折れそうなほどに強く、大石はミズをその両腕に抱え込んで、苦渋に満ちた声を絞り出した。 「あなたのお父さんは間違っている。どうしてそんなことが平気で出来るんだ。どうしてそんな簡単に、命を弄んだり出来るんだ・・・!」 意識のないミズの体を、大石は自分の胸にグッと押し付けた。 思い出が、よみがえってくる。 一年前、菊丸英二の捜索を依頼されたときのこと。 旧家の敷居をまたいで、紅葉の散る古都の日本家屋を訪れた。 おそらく家出らしいということ以外には、何も手がかりはなかった。 ただひとつ、自分の心を捕えて放さなかったのは、英二という少女の写真。 セーラー服を着て笑っている、あどけない少女の姿に。 会ったこともない彼女をなんとしても見つけ出そうと、誓ったのだ。 腕の中で眠る、ミズの姿を見た。 菊丸英二の心を宿した、アンドロイドだなんて。 『おれだけの、おれじゃなきゃダメ、っていう人に会いたいなぁ』 大石ははっと顔を上げた。 ミズの、あの顔を思い出したのだ。 『そんな人に出会えたら、「生きてる」って意味が分かんのかな・・・』 その言葉を口にしたときの、あの。 泣きそうに、小さく歪んだ表情を。 「・・・そうだね」 「え?」 顔を上げると、目の前には不二が立っていた。 その顔は意外にも苦しそうで、自嘲するような笑みを浮かべている。 「狂っていたんだろうね・・・お父様は」 カタリ、と。不二が両手を手術台についてもたれかかった。 「父はね、永遠がほしかったんだよ」 昔のことを思い出すように、不二の瞳が遠くを見るように細められた。 「ボクの母は病弱な人でね。父と離婚した後いい家の後妻に入ったんだけど、そこで子供を産んで死んでしまった。狂気的に母を愛していた父は、それを知って絶望した」 淡々とした言葉が、つむがれていく。やがて次第に、不二の表情は氷のように冷たくなっていった。 ―― どうして人の体はこんなにも脆いのだ? コポッ、と、どこかの水槽で水音が響いた。 「せめて娘だけは、愛する娘だけは死なせたくない」 不二の言葉が、冷酷に研ぎ澄まされていく。 「朽ち果てることのない皮フを、老いることない体を―― 永遠の命を」 機械音しかしない、静かな室内に。 呪文のような不二の言葉が響き渡った。 「それが、アンドロイドだと・・・?」 「そうだよ、その研究のために父は心血を注いだ。倫理も道徳も、何の歯止めにもなりはしなかったから」 森に立ち込める、深い霧。 神隠しの森と異名を持たせたこの霧は、多くの行方不明者や自殺志願者を誘い込み、迷わせた。 そしてその者たちはすべて、吸い込まれるようにこの館を訪れたのだ。 霧は、旅人を食らった。 「不二さん、まさか・・・」 大石の声が震えた。 不二はわずかに微笑むと、手術台の脇からガチャリと器具を取り出した。 ウイイインと音を立てて鋭い刃先が回転する。大石が驚いて息を呑む間もなく、不二はその腕に思い切りドリルを突き立てた。 「・・・っ!」 その腕から、血の一滴も流れることはなかった。 「ボクも、ミズと同じく父に造られたアンドロイドだ」 「・・・不二さん」 「この館はね、呪われているんだよ。父の妄執によって」 不二が、笑う。それはそれは綺麗な、年をとらないものの笑み。 「父が死んだ後も、この館を守るためにボクたちは生き続けてる」 さて、と。 短く呟いた不二は、ミズに目を向けた。 大石の腕の中の、微動だにせず眠っているミズに。 「ミズを離してくれるかい。 修理をしなければいけないから」 「・・・何をするんです」 「思い出してしまった、英二としての記憶を消す」 ぎし、と大石の腕が硬くなった。 それを見透かすように、不二は皮肉げに微笑んだ。 「・・・そうして、博士が亡くなったときの記憶も、彼女から消去したんですか」 「へえ、ミズから聞いていたの」 ぐっと、大石の腕に力がこもった。 「博士は、どうして亡くなったんです」 「キミには関係ないことだよ」 フッと、不二の顔に笑みが浮かんだ。 「キミをこの館に招き入れるべきではなかったね、大石。キミはミズに英二としての記憶を取り戻させてしまった」 記憶回路。何度消去しようとしても、何度回線を焼切っても。 ミズからそれを完全に消し去ることは出来なかった。 最も新しく造られたミズがそうであるのだから、勿論不二も、ただの人間であった頃の記憶はすべて残っている。 あの日。 父は喜び勇んで、自分の元へやってきた。 ―― 喜べ周助、先ほどの被験者がついに成功したんだ。 これでやっとお前にも手術を施すことが出来る。その母親譲りの美しい姿のまま、永遠に私の元を離れることはないのだ。 いつまでも呪いのように、脳裏に焼きつく父の言葉。 この体が、この館そのものが、罪の烙印なのだから。 父を止められなかったという、ボクの罪の。 「・・・させません」 不意に、大石の声がした。それは不思議な反響を伴って、薄暗い研究室の中に響いた。 「・・・なんと言ったの」 「もう彼女の記憶を消させたりはさせない。俺は」 大石は一度、腕の中のミズの顔を見た。 穏やかに眠っている彼女の顔を見て、安心したかのように微笑むと、その瞳をまっすぐ不二にむけた。 「彼女には、待っている両親がいる。俺は彼女をそこに届けたい。記憶を消したりなんかさせません」 その言葉は、朗々と清清しいほど澄み切って、暗い研究室の中にこだました。 「俺は、彼女を連れて帰る」 バアンッ! 銃弾が、頬を掠めていった。 しっかりとミズを抱え込む、大石の目の前で。 至近距離から、不二が拳銃を構えている。 「ミズを、連れて行く・・・?」 冷え冷えとした声が、硝煙の匂いに混じって届いた。 「そんなこと、させないっ!」 バン、バン!と。 銃弾が続けざまに大石に向かって飛んできた。 「・・・くっ!」 大石はそれでも機敏に、机を壁にして銃弾を避けた。勿論その両腕に、ミズをしっかりと抱えて。 苛立ったような不二の銃が次々と火を吹く。 その中のひとつは大石の背後の薬品棚に命中した。 「・・・うわっ!」 ミズを抱きかかえ、大石はとっさにそこから飛びのいた。大きな薬品棚が激しく音を立てて、部屋の中央に向かって倒れる。ガラスが割れて飛び散り、薬品の入った瓶が続けざまに割れて粉々になり、中の劇薬が流れ出てくる。 ボッ、と爆音がした。 その中のひとつが、火を吹いたのだ。 「な・・・っ!」 大石は慌てて、胸ポケットをまさぐった。ライターが、ない。 「これのことかい?」 「それは・・・!」 銃を構えたままで、不二が優雅に微笑みながら歩み寄ってくる。手の中でくるくると、大石のライターを弄びながら。 やがて不二は、ぽんっとそのライターを薬品の中に投げ入れた。 ごおおっ、と激しい火柱が上がる。 「・・・うっ!」 とっさに手でミズを自分をかばった大石は、火柱から後ずさって逃れた。 見る間に火柱はごうごうと燃え上がり、天井に到達している。 (いや・・・) もはや、天井だけではない。 壁に、床に、オレンジ色の炎は燃え上がり、部屋全体に轟々と火の手が広がっているのだ。 研究室は、炎による灼熱の空間となった。 「・・・ボクはこれでもアンドロイドだからね、これぐらいで死んだりしないけど」 じり、と。 不二が微笑みながら、大石に近づいてきた。当然のように銃口を大石に向けて。 「キミは辛いでしょう、大石。このままでは焼け死んでしまうよ?」 パチパチと、耳元で炎の弾ける音がする。 燃え盛る炎に照らされ、自分の顔も対峙する不二の顔も、オレンジ色に染まっていた。 「・・・連れて帰ります、必ず」 「強情だね、キミに何の権利があってそんなことが言えるの?」 また一歩、不二が銃を構えて近づいた。 「ではあなたたちこそ何の権利があったというんだ」 「なに?」 「何の権利があって、英二さんをあんな狂った研究の実験台になんか・・・!」 「それは違うよ」 「え・・・?」 「英二は“実験台”なんかじゃない。“完成品”なんだ。父の研究の最終目的は、ボクと、あの子だったんだから」 そのときの不二の微笑みを、大石はこの先もきっと忘れられないだろうと思った。 「英二は、ボクの義妹なんだよ」 「え・・・?」 くすりと笑う不二の横顔も、炎に照らされオレンジ色に同化していく。 背後で、壁が崩れていくのが分かった。 「ボクの母が菊丸家に嫁いで、命と引き換えに産んだ父親違いの娘。それがが英二なんだ。だから父は、英二もアンドロイドにして永久に生かそうとしたんだよ」 一歩、また大石も後ろに下がった。 「・・・それでも俺は、彼女をここに置いてはおけません」 「どうして・・・?」 不二の顔が、不意に顰められた。 それは、ほんの一瞬だけ覗かせた、悲しみ。 「知らないとは言わせないよ、英二が実家でどんな扱いを受けていたか」 大石もまた、頷いた。 名だたる旧家である菊丸の家。 末娘の失踪を、心配よりも体面を気にして嫌悪を隠しもしなかった父親。 「あの子は死ぬつもりでここへ来た。誰にも愛されないのが辛いと言って」 寂しい。寂しい。 愛してくれる人に会いたい。 「おれじゃきゃダメ」だという人に出会いたい。 「生きてる」意味が欲しい。 そう。 英二は死ぬつもりで、自らこの森に迷い込んだのだ。 「だから辛かった記憶をすべて消した。新しい名前をつけたんだ」 不二の顔が、ほんの一瞬だけ。 泣きそうに歪んだ。 「それなのに、どうしてその子を連れて行くの・・・?」 毅然とした大石の顔には。 もう、ひとかけらの揺るぎもなかった。 「彼女が、寂しいと言っていたからです」 二発続けて、大石の背後の壁に銃弾が突き刺さった。 そのうちの一発が、大石の右腕を掠める。 しかしわずかによろめいただけで、その視線はまたまっすぐに不二にむけられた。 「・・・俺は、彼女に見せてやりたい。呪いの館じゃない、外の世界を」 不二の顔が、わずかに歪んだ。 「霧だけじゃない晴れた青空を。彼女の探している、生きている意味を。・・・俺は、彼女の側にいたい」 傷口から、血がどくどくとあふれ出す。 倒れこみそうになる体を奮い立たせて、大石は腕の中のミズを全力で抱きこんだ。 「俺は、彼女の生きる意味になりたいんです!」 「・・・おおいし」 腕の中の存在が、わずかに身をよじった。 大きな猫の瞳が、大石に向かって瞬かれる。 はっ、と大石もそれに気がついた。 「・・・大石は、一緒にいてくれるの?」 まだ覚醒しきっていない、弱々しい声。泣きそうに歪んだ顔に、大石は手を添える。 「おれの側に、いてくれるの?」 「・・・ああ」 おぼつかなく伸ばされた腕を、大石はしっかりと握り返した。 そのとき、不二がどんな顔をしていたのかは分からない。 けれど彼女が、もう一度拳銃を構えたとき。 天井のコンクリートが、音を立てて崩れ落ちた。 ドオン・・・と耳をつんざくような地響きをならしながら。 コンクリートの塊は、不二自身が気付くより早く、大石が叫ぶより早く、彼女の頭上めがけて崩れ落ちてきた。 「――危ないっっ!!」 一瞬、何が起こったか分からなかった。 コンクリートの塊は、不二を直撃することなく。 脇から別の腕が伸び、彼女を抱きこんだ。 不二の傘になるようにして、その腕はコンクリートを払いのけていた。 「手塚・・・」 気を失ったらしい不二は、手塚の腕の中でくたりとしている。 「・・・っ、手塚!大丈夫か、お前・・・」 はっと我に返って駆け寄ってくる大石が、ぴたりと立ち止まった。 素手でコンクリートを払いのけた腕は、べろりと表皮が剥がれている。 そこから、鉄筋の骨組みが覗いていた。 「手、塚・・・」 「俺は、博士の研究の“実験台”だった。不二が手術される直前の、生き残った唯一の被験者だ」 轟々と炎が燃え盛り、やがて部屋中が真っ赤な炎に包まれた。 視界が煙で覆われ、肺が焼かれて大石はゴホゴホと咳き込んだ。 「早く行け、大石!」 「手塚・・・!」 「そこのドアを破れ。外に繋がっている。ミズと一緒にこの館から出るんだ」 「手塚・・・」 視界の端に、手塚のさしたドアが見えた。 そこまで駆け寄っていくと、板を蹴破る。そこから明かりがさした。わずかに空気が入ってきている。 一刻の猶予もない、しかし―― 大石は、手塚たちを振り返った。 「急げ!俺たちはこの程度では死なないが、生身のお前では耐えられないぞ!」 「手塚、お前も一緒に・・・!」 ―― 外の世界へ。 しかし、手塚は首を振った。 「俺は行かない。―― 不二の側にいる」 「手塚・・・」 「不二や、博士だけではない。ここには、俺の罪も眠っているんだ」 手塚の顔を見た大石は、不意にすべてを理解した気がした。 「手塚・・・」 脳裏に浮かんだのは、銃を突きつけてきた手塚の姿。 「・・・お前が、博士を」 ガラガラ、とまた壁が炎によって崩れ始めた。 風が入ってきたことにより、更に炎は勢いを増し始めた。 「行け、大石!」 「手塚・・・」 黙々と立ち上る煙に、とうに視界は侵されている。 しかしその中で、たしかに手塚と不二の姿が見えた気がした。 「手塚、不二・・・!」 残りの板を全力で蹴破ると、今度こそ大石は光のさすほうへと走り出した。 その手にしっかりと、大切な人を抱えて。 「大石」 伸ばされる腕を、大石はしっかりと握り返した。 館を出て、森に出る。 あれほど立ち込めていた霧は嘘のように晴れて、木々の上には。 青空が覗いていた。 そして。 「大石、遅いってば!依頼人さんとの待ち合わせ時間に遅れるよ!」 「もとは英二が寝坊したんだろ、ちょっと待てって」 「細かいこと気にしないの!ほら早くー!」 ぱたぱたと忙しなく先を行く赤毛の少女を、大石もまた慌てて追いかけた。 毎朝恒例の風景だ。 「英二、ちゃんとお弁当持った?定期は?」 「持ったってば。遅い大石!ほらダッシュ!」 待ちきれない英二は、くるくるの髪の毛をぴょんと上向かせて。 楽しそうに、実に楽しそうに走り出す。 「ほら大石、早く早く!」 言葉とは裏腹に満面の笑顔で、英二は大石に手を振った。 今二人は、共に生きている。 二人が共に暮らすようになり、やがて歳月が流れても。 あの霧に包まれた森の館を、二人はしばしば思い出す。 深い深い霧が立ち込める中。 あの館は今でも変わらずに、あそこに佇んでいるのだろうか。 機械仕掛けの住み人たちは、やはり今でも庭園の花々を見つめながら暮らしているのだろうか。 咲き誇る花のような狂宴が、今はすべての夢のあと。 fin. 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