ミズは大石を連れて、まっすぐ階段を下りる。
「ミズさん、どこに・・・」
「まぁまぁ、いいからいいから」
何がいいのか、大石は苦笑しながらも、手を引かれるままにミズに付いていった。一階に下りると彼女はくるりと向きを変えて、細まった廊下を奥へ入っていく。
「ほら」
廊下の端、どうやら外へ通じる扉があるようだ。
カチャリ。ノブを回して、ミズはにっこりと笑った。
「見て、大石」

開け放たれた扉。
そこは、中庭に通じていた。

「わぁ・・・」
思わずため息が出た。大石は驚きの表情で辺りを見回した。
「すげーだろ?おれと周助とで世話してんの」
大石はコクリと頷く。たしかに、これはすごいとしか表現の仕様がない。

中庭は、まるまる見事な花園になっていた。
フラワーガーデン。立ち並ぶ緑の木々に、所狭しと並ぶレンガ造りの花壇が美しい調和を伴って見事な庭園を形づくっている。
小さな階段や、つる草の巻きついた古びたアーチ。お人形のおうちのような可愛らしさと、まるで古い西洋のアンティークのような重厚な風合いがある。
「夜だから花は全部つぼみを閉じてるけど、朝来たらまたすごいんだ。花が一斉に咲いててすごく綺麗なんだよ?」
「うん・・・」
大石は頷きながらも、それは少し違う、と考えていた。
たしかに、真夜中の庭園は花は閉じてしまって本来の見所がない状態といえる。
しかし、この庭園には夜であるからこその美しさがある、と大石は思った。
これがただの闇夜なら、なるほど暗闇にすべて隠れてしまって味気ないのかもしれないが、今夜は月夜。それも昼間のように明るい月夜だ。

古城を照らす月、というのは歌にもなるほど趣深いものである。この庭園には、それに通じるものがあった。
月夜の下、つぼみを閉じて眠っている花壇。つる草のアーチに、石畳に、レンガの階段に、藍色の月の光が降り注ぐ。
夜だからこその、幻想的な光景だった。

「ミズさん・・・」
呼ぶ間に彼女は、とん、とん、と石畳を踏んでいく。白いワンピースの裾が風にふわりと揺れた。
「大石、歩こ?」
ミズは大石に向かって手を伸ばした。とても無邪気に。
吸い込まれるように大石は、その手をとって一緒に歩き始めた。



石畳はずっと続いている。
「ねぇ、大石」
「ん? なんだい、ミズさん」
隣を歩いていたミズが、大きな瞳をくるりとこちらに向ける。

「あのね、大石。聞きたいんだけど・・・おれがアンドロイドだって聞いたとき、どう思った?」

「え・・・」
ザッ・・・と風が流れる。
「俺は・・・」
「おれロボットだよ? なに真面目に話してんだよ、とか思わない? 機械相手に会話してるの、バカバカしいとか思わない?」
「思わないよ、そんなこと!」
大石は驚いて、全力で否定した。そんな、とんでもない。思ってもみないことだった。
「そうだ、ミズさん。言い忘れていた」
大石は慌てて付け足した。
「へ?」
「夕食、すごく美味しかった。ありがとう」
「・・・・・・」
こんなときにそれを言うかな、と少々気がぬけた気分になりながら、ミズはくすりと笑った。
「ん・・・じゃあ、まぁいいよ。そーいうコトで」
「え?」
「大石が、ちゃんと俺のこと一人前に思って接してくれてるんなら、それでいいよ」
「ミズさん・・・」
「ゴハン、おいしかった?」
「あ、ああ。すごく!」
「良かった。おれ、味見って出来ないから」
アンドロイドだもんね、とミズは笑って舌を出した。
「ミズさん・・・」

ミズはくるりと向き直って、また歩き始めた。
大石はその後を追って、また隣に並ぶ。
「ミズさん、聞いてもいいかな」
なあに?と振り返られる。
「君は、いつからここで働いているんだい?」
「ん?・・・そーだなぁ。おれが造られたときからだから、1年とちょっとかなぁ」
大石はぐっとつまる。
時期的には、合うのだ。
菊丸英二が失踪した時期と。

「自分が造られた・・・記憶ってあるのかい・・・?」
「う?うーん。てゆーかね、あの日、ぱっと世界が明るくなって、ほんと“目覚めた”って感じで、目の前に旦那様――周助の親父さんと周助が立ってたんだ」
昔のことを思い出すようにミズは眼を細める。

『おはよう。君の名前はミズ。これからよろしくね』

そう言って、不二はまだぱちくりと瞳を瞬かせているミズの頬を優しく撫でたという。

「そう言って笑ってくれたの。あれがおれの最初の記憶」
「へぇ・・・」
「それからずっと、ここで住んでる。すごく時間がたったような気がするけど、“外”じゃきっと一年なんて、そんなに長い時間じゃないんだろうね」
「・・・そうなのか・・・」
大石がつぶやくと、ミズは身を翻して笑った。
「おれはアンドロイドだけど、周助が言うんだよ。鳥がいて、動物がいて、人がいて。同じようにキミがいるんだ、何も特別なことなんかじゃないっ、て。だから、おれはおれの出来ることをするんだ。ものは食べられないけど、一度味付け記憶したら、それ使えば料理だって出来るし」

便利だろ?と笑うミズに、大石はどう答えたらいいのか分からなかった。

「だから、大石がおれのことを生きてる人間みたいに接してくれて、すごく嬉しかったんだ」
「え・・・?」

花々が、夜に眠る。
庭園の真ん中で、二人は佇んでいた。

「ねぇ大石、あれを見て」
ミズが、丸い花壇のひとところを指差した。
石造りの花壇。その中にぽつぽつと、小さな花が咲いている。
真夜中でありながら、月の下で、それは花を咲かせていた。
「これは・・・」
「夜に咲く花も、あるんだよ」
黄色や白の、小さな小花。月夜に照らされながら、小さく花を開いている。
「へぇ・・・」
大石は意外そうに目を開いて、しゃがみこんで花壇を見つめた。
「夜に咲く花なんて・・・月下美人くらいしか知らなかったな。どうして夜に咲いてるんだろ?夜は虫も飛んでこないだろうに。光合成はしないのかな」
「ねー。不思議だよねぇ」
「植物学者とか、昆虫博士とかいたら聞いてみたいな」
ふふ、とミズは大石の隣に腰掛け、楽しそうに笑った。
「こういう仲間はずれの花見てると、ちょっと元気が出るんだよ、おれ」
「え?」
「『生きてる』カタチは、色々あっていいんだなって思えるから」
大石が振り返ると、ミズは少しだけ物憂げに微笑んだ。

すくりと立ち上がる。

「ミズさんっ?」
ミズは答えずに、先へ歩き出す。
ぱたぱたと小走りになる彼女を、大石は慌てて追いかけた。
丸や四角の花壇の間を、縫うようにすり抜けるようにしてミズは歩いていく。
「ミズさん、待って・・・」
大石は気がつくと小走りになっていた。
慣れた庭で、ミズは猫のようにするりと間をすり抜け、歩いているとは思えない速さで先へ先へといってしまう。

「ミズさんっ・・・!」

大石は必死になって、彼女のあとを追った。
さっきミズが見せた、どこか物憂げな表情は。思い出すと、ぞっとするものがあった。
大石は見たことがあった。何かを諦めたような、それでも望みを捨てきれずにもがいているような、あの表情。
追い詰められ、悩み苦しんでいる人間特有の表情。

あれは彼女が垣間見せた、胸のつかえの片鱗なのだ。

大石の頭にはとっくに、ミズがロボットなのだという意識は無くなっていた。
どんなに科学が進んでも、世の中が便利になっても。
人の心は、再現できない。

彼女は、人だ。




「ミズさんっ!!」

もう一度大声で呼ぶと、ミズはぴたりと足を止めた。
「ミズさん・・・」
振り返った彼女の顔は、もう猫のようだとか、可愛らしいとか、そんな安直で無邪気なものではなかった。
笑っていない顔。眉を寄せ、睨みつけるような、泣きそうな顔でこちらを見ている彼女。
どうにもならないことに憤り、悲しみ、悩み苦しんでいる。
14〜5歳ほどの、少女の顔。

自分にも経験があった。
やはりこれぐらいの年の頃、とても必死で、余裕無く、何かに悩んでいる時期が自分にもあった。
大石は、ゆっくりとミズに向かって歩き出した。

「おーいし・・・」
気まぐれに歩き出し、また気まぐれに立ち止まった彼女は、その心の中に多くの割り切れない何かを抱えているのだと大石は思った。

「言ってくれ、何でも・・・」
一歩、ミズに歩み寄る。
「ミズさんの胸のつかえを、俺に聞かせてくれないか」
思ったよりもずっと優しく出たその声に、ミズは頼りなげな瞳で、うんと頷いた。



「たまにね、『生きてる』って意味が、分からなくなるときがある」
「生きてる、意味・・・?」
「うん」
さらさらと風が吹く。
隣り合って歩きながら、二人はまるで旧知の友人同士のように近い距離で、ゆったりと歩を進めた。
大石はミズの顔を覗き込んだ。
その顔は明るい彼女らしく決して悲嘆にくれたものではなかったけれど、重い影がさしているように思えた。

「おれね、自分では生きてるんだと思ってるんだ。機械だから生きてないって言われたらそれまでだけど、自分では生きてるつもりなんだよ」

呼吸もしない。食事もしない。体温もない。

「人とはカタチが違うかもしれないけど、『生きてる』と思ってる。けど、ときどき思うんだよ。そーいうことは自分で思ってるだけじゃ駄目なんだって」
「え・・・」
ミズは、ぴたりと足を止めて大石を振り返った。
「ねえ大石、さっき廊下で会ったときあんなに焦ってたのって、ひょっとして手塚と周助のラブシーン見ちゃったからだったりする?」
「えっ・・・?!あっ、いやっ・・・!」
なんというカンの良さだろう。
先ほどの映像がまた頭の中を駆け巡る。―――だからやめろって俺!!
大石はまた真っ赤になってぜえぜえと呼吸する。

その様子を笑って見ていたミズは、ふっとしんみりした表情になった。
「・・・手塚はね、何年も前からここに居るんだって。おれが造られるよりも、まだ前から」
「そうだったのか」
「普段はあんまベタベタしないけど、周助と仲良いんだよね・・・」
「・・・ミズさん?」

その表情は、心なしか寂しそうに映った。
月の光が、ミズの顔に陰影を作る。

――作り物のからだ。

「・・・おれにもあんな人がいたらなぁ」
「え・・・?」
大石がミズを見つめると、彼女はふっと寂しげに笑った。
「勿論二人ともおれのこと大事にしてくれてるよ?でもそれはおれじゃなくてもいいってゆーか、2番なんだよ。俺がもし居なくなっても、きっとどうしようもなく困るわけじゃないんだ」
「ミズさん・・・」

「おれだけの、おれじゃなきゃダメ、っていう人に会いたいなぁ」

ミズの顔は、泣きそうに小さく歪んだ。

「そんな人に出会えたら、『生きてる』って意味が分かんのかな・・・」

「ミズさん・・・」

生きる価値。
生きる意味。
それはきっと、他人との関わり合いの中でしか見つけられないもの。

彼女は、寂しいのだ。

「・・・おれアンドロイドだから、機械だから、血も流れてないし、物も食えないし、生きてるなんて言えないかもしれないけど、生きてないかもしんないけど・・・」
「・・・ミズさん」
「でもちゃんと『心』はあるんだよ・・・おかしいかな・・・?」

寂しい目。
震える中、必死で何かを信じ続けているような表情。

それは、なぜか彼女にとても相応しくないように思えた。

ここに訪れ、扉を開けてくれたときの彼女。
あの、太陽のような笑顔がいい。彼女には、あの笑顔が一番似合う。
「ああ・・・」

「――大石?」

「君はこうして存在して、話して、笑ったりも悲しんだりもする。生きてるんだよ。それは、生きてるんだ・・・俺はそう思う」

気が付いたら大石は、ミズを抱き寄せていた。
体温のない、冷たいからだ。機械で出来たからだ。
人の形をした、人外のもの。

それなのに、どうしようもなくいとおしかった。


「君には心がある。俺は、それを否定したりなんかしないよ。絶対に」


ミズは一瞬驚いた表情を浮かべて。でも、そのまま大石の肩にことんと額をくっつける。

その表情は心なしか幸せそうに微笑んでいた。