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脱衣所から出た二人は、何とはなしに並んで歩いていた。 窓の外を覗いてみる。 雨こそ降っていないものの、いまだ深い霧が立ち込めていた。 「・・・なんで、そんな怪我したの?」 ふと、ミズがそんなことを聞いてきた。 「うーん・・・仕事柄、ちょっとな」 「危ない仕事なんだ?」 「さぁ、どうだろうな・・・」 危ない仕事というよりは、危険な目にあうことも多い仕事というべきか。なんと答えていいのか分からない。 「人の裏側をのぞき見る仕事だから、ね」 「・・・ふーん?」 目を伏せて小さく答えた大石に、分かっているのかいないのか、ミズはそれ以上追求してはこなかった。 「ミズさんはどうだい?」 大石は暗い雰囲気を払拭するように話題を変える。 「え?」 「ここで働いてるんだろう、大変なこととかはない?」 ミズはう〜んと首をかしげた。 「うーん、そりゃ掃除とかは大変だけどね。このお屋敷ってばバカみたいに広いし。手塚も周助もあれで結構不器用でさ、任せておけないんだよね」 ミズは愛くるしい顔をこくりと傾けた。猫のような目が、ぱちぱちと瞬きされる。 「でも、大変なことなんかなんにもないよ?」 ミズはようやく晴れ晴れとした笑顔を見せた。にひーっと笑う。 「周助も手塚もすごくいいヤツだから。手塚はさっき会った通り、愛想ないけどあれで優しいトコもあるし。周助とはすごく仲良しだよ。使用人とかじゃなくて、友達・・・姉妹みたいに接したいって言ってくれたから」 『何も遠慮することなんかないんだよ、ミズ』 そう言って綺麗に微笑んだ、優しい主人。 彼女の父によって造られたアンドロイドである自分を、彼女は厭うことも邪険にすることもなかった。 『ボクも手塚も、君も家族も同然なんだ。何でも言い合える、話し合える間柄でいよう』 「へぇ・・・」 「キツいときもあったけど、いつだって隣で励ましてくれたから。二人はおれの大事な家族だよ」 「そうか・・・」 「・・・旦那さまがまだ生きてらした頃は、ちょっと辛いこともあったけど・・・二人がいたから堪えてこられた」 「え?」 聞き逃せずに、大石はミズの顔を見返す。 しかしミズはううん、と首を振った。 「後で部屋まで夕食持ってくから、楽しみにしててね」 大石も何も聞かず、頷いた。 「・・・ああ、ありがとう」 ミズは大石の部屋とは反対側へ、ぱたぱたと小走りで行ってしまった。 長い廊下が広がっている。 日は完全に暮れてしまったらしく、窓の外は時折風が吹くだけで真っ暗闇だった。 薄暗い廊下を、淡いオレンジ色の照明がぼんやりと照らしていた。 玄関の前に広がっていた大きな階段の場所まで戻ると、大石の心にふと好奇心が沸き起こった。 (ちょっと、歩いてみようか) 玄関から案内された客室、そして浴室までの道のりしか知らない大石は、霧が晴れるまで世話になる館の中身に少なからず興味があった。 自分のための客室の方角と、わざと反対に曲がる。 あてもなくふらふらと、大石は長い長い廊下を歩き始めた。 (本当に広いな・・・) 廊下はどこまでも続いていた。 途中いくつも分岐点があり、そのたびに気の向くほうに足を向けた。 あちこちで折れ曲がりながら、それでも廊下が途切れることはなかった。 そのうち、同じところをぐるぐる回っているのではないかという疑念まで湧いてきた。 (けど、玄関の正面の階段に戻ってこないってことは、元の場所に戻ってるわけじゃないんだよな・・・) 延々と同じような風景が続く。 角を何度折れ曲がったか分からなくなった頃には、大石は自分の部屋に戻れる自信がなくなっていた。 絵がかけられているわけでも、花が飾られているわけでもない無機質な廊下は、他にまったく人の気配もない。現在この館にいるのは四人。自分のほかにはミズ、手塚、そして主の不二しかいないのだから当然なのだが。 そこで大石はハタと思い当たった。 「そういえばミズさんや手塚の部屋はどこなんだろう・・・」 歩いている間にいくつもドアがあったが、あれはどうやらすべて客室らしかった。この館のどこかに、彼ら個人の部屋もあるはずなのだが。 「聞いておけば良かったな、部屋はどこかって」 (ん?) ぴたりと立ち止まる。 「・・・いや、女性の部屋を聞くのは、やはりまずいか」 いかんいかん。 やっぱり聞かないでよかったと、大石は一人胸をなでおろした。 ちょっと話がしたかったんです、なんて言ったところで怪しいだけだろう。一人あたふた言い訳する自分に、彼女はまた大きな声を上げて笑うのだろうか。 無邪気な彼女の姿と笑われる自分を想像して、大石は苦笑した。 「うわっ!」 目の前には何の前触れもなく壁があった。 「あ、あれ?」 気がついたら袋小路に入っていたらしい。果てがないように思えた長い廊下も、ようやく途切れるところに行き当たったのだ。 「行き止まりか・・・」 引き返そうと踵を返す、そのとき。 (ん?) 大石はもう一度壁のほうに向き直った。 何の変哲もない、クロスの張られた白い壁。 大石は手を伸ばし、壁の表面をゆっくりと指でなぞる。 (なんだ、これは・・・) 「大石、何をしている」 背後から凛とした声が響いた。 「え?」 振り返ると、少し離れた場所に手塚が立っていた。 たまたま通りかかったのか、相変わらずの厳しい顔でこちらへ歩み寄ってくる。 「何をしてるんだ、こんなところで」 別に咎めるような調子もなく、純粋に不思議に思ったようだった。 「ああ、手塚」 風呂を借りた後、好奇心に駆られて闇雲に歩き回ってたんだ、と説明すると、手塚は納得してなるほどと頷いた。 「本当に広いお屋敷だな・・・うっかり迷うとこだった」 そう感想を漏らすと、手塚もうむと頷く。 「亡くなった主人の趣味だ。そう長い敷地でもないのに、無駄に折れ曲がってるから長く感じるだけだが」 「亡くなった主人というと・・・不二さんのお父さん、工学博士だったって方か」 「ああ。こんな森の奥の誰も来ないような場所にこもって、研究に没頭していたようだ」 「いかにも博士、という人だったんだな」 気難しい科学者然とした姿を、勝手に想像してしまう。手塚の気安い口ぶりにつられて、大石も微笑んだ。 「変わり者を通り越していた」 不意に、手塚の声色が変わった。 手塚の口調には、明らかな不快感が浮かんでいた。 「マッドサイエンティストとは、ああいう人物のことを言うんだろう」 そして彼は我に返ったのか、自分の発言を恥じるように押し黙った。 大石は少々意外だった。手塚の口調は初めから年齢に似つかわしくなく老成したところがあったが、こんなに感情をあからさまにしているのはあまり「らしくない」姿に思えた。 (・・・手塚と不二さんたちはどういう関係なんだろう) 大石の胸に疑問が宿る。 もともとの主人に造られたミズと、その博士の娘である不二。 しかし、この手塚の位置づけだけはどうにも分からなかった。 (・・・あんまり博士にはいい感情を持っていないみたいだけど) そこで大石は、先ほど別れる前のミズの言葉を思い出した。 『旦那様がまだ行きてらした頃は、ちょっと辛いこともあったけど・・・』 あのときのミズの、なんともいえないような表情が頭に浮かぶ。 「手塚・・・」 手塚が視線だけこちらに向ける。 「亡くなった不二博士は、何かミズさんに対して辛く当たるようなことがあったんだろうか」 手塚は意外そうな顔でこちらを見返す。大石は焦って弁解した。 「いや・・・ごめん、失礼は承知なんだけど。ふっと思っただけで」 しばし怪訝そうな顔をしていた手塚だったが、やがて無表情のまま口を開いた。 「・・・ミズが何か言っていたか」 「い、いやいや違うんだ!ちょっとそんな気がしただけで」 何だかどうしようもないピエロになったようで、なんで口にしてしまったのかと内心困り果てる。 そんな大石の様子に、手塚は一息つくと、ぼそっと呟いた。 「あまり、いい人物ではなかった。俺が言えることではないが」 「・・・そうか」 「行くぞ」 それ以上は言わない、という気配を感じ取って、大石は手塚について歩き出しかけた。 そして忘れていたことを思い出し、ばっと振り返る。 行き止まりの、壁に。 「・・・大石?どうした」 行きかけて怪訝そうに振り返る手塚に、大石は言っていいものかどうか迷った。 相当に無礼で、ぶしつけな質問だ。 しかし、もう一度自分がこの森に入った目的を思い出す。 それにこの手塚なら、答えるにしても答えないにしても誠実な返答をくれる気がした。 (・・・よし) 「・・・手塚、聞きたいことがあるんだけど」 向き直って、袋小路になっている廊下の壁を指差す。 「この館は少々・・・不思議な造りになっているみたいだな」 手塚は体ごと大石のほうに向き直った。 「・・・どういうことだ?」 真っ白いクロスの張られた、何の変哲もない壁。廊下は途切れるようにしてここで行き止まりになっている。 「さっき気付いたんだけど、この壁は少しおかしい」 「何?」 「一件何の変哲もない壁だけど・・・」 大石は、壁のある一点を指差した。 手塚は目を凝らして大石の指差した辺りを見る。 「これは・・・」 そこには、親指ほどの小さな出っ張りがあった。 普通なら見落としてしまうほどの小さな出っ張りだったが、大石の目は的確にそれを捉えていた。 「これだけなら大したことじゃないけど、それに若干だけど他の壁と色が違う。後から取り付けられたみたいに新しいし」 大石はその隣の壁を、コンコンと叩いてみせる。 「ほかの壁は、こんな感じだけど」 また向き直って、今度は行き止まりのほうの壁をコンコンと叩く。 「音が違うな。この行き止まりの壁のほうはかなり薄いみたいだ」 確信を持って、大石は正面から手塚の目を見返す。 「建築士の人に聞いたことがある。こういう場合大抵壁の向こうには・・・」 『隠し部屋』 「・・・何か知ってるかい、手塚」 手塚はまったく変わらない表情でやはり大石を見返していた。しかし。 間もなく彼の口から、意外な言葉が飛び出した。 「・・・その壁の向こうは、死んだ博士の研究室だ」 彼は諦めたように一つため息をこぼすと、あっさりと教えてくれた。 「え?」 人の屋敷の秘密に触れたのだから、激昂される事も覚悟していた大石はがくっと肩透かしを食らう。 「・・・研究、室?」 「お前の察する通りだ。壁の向こうは隠し部屋になっている」 「亡くなった博士が、ロボットの研究に使ってたってことか?」 「そういうことだな。博士が死んでからは使用する者もいないし、高電圧の装置などもあって危険だから封印してある。他に質問はあるか?」 「いや・・・」 手塚の態度は終始堂々としていた。しかし、それ以上尋ねる事は出来そうもなかった。 「すまなかったな、変なこと聞いて」 大石は微笑んで、手塚のもとへ歩み寄ろうとしたのだが。 手塚の鋭い視線が突き刺さった。 「行きすぎた好奇心は、身を滅ぼすぞ」 腹の底に響いてくるような声だった。 脅しかと思ったが、少し違っているようだと大石は思う。 なぜだか手塚の声色には、自分を心配しているような気配があったから。 「・・・性分なんだよ、困ったことに」 だから大石は笑って、しかし譲らない姿勢で手塚の顔を見返す。 その目は変わらず厳しい光を宿していて、口許は固く引き結ばれている。 「博士のことを聞いていたな」 「え・・・」 ざわり、と、室内なのになぜか冷たい風が吹き抜けたような感触を覚えた。 手塚は機械のように無機質な目で、こちらを見つめている。 「あれは、悪魔の研究だ」 「え?」 「大石、なるべく早くここを出ろ。霧が晴れたらすぐにでも」 ビュウウ、と激しい風がガタガタと手塚の背後の窓を揺らした。 「俺も霧に迷いこの館にたどり着いた。そしてここでずっと暮らしている。生きてるのか死んでるのかも分からないまま」 「てづ・・・」 「この館には博士の妄執がとりついている。その呪いに俺たちは縛られたままだ」 手塚は、大石に突きつけていた視線をふっと降ろした。 まっすぐな視線を、遠く窓の向こうにやる。 依然館の外は霧に包まれている。 「呪われる前に、お前は早く出て行け」 大石はしばし呆然として聞き入っていた。 3 |