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手塚と不二はどこまでも、俺の探究心を刺激して止まない奴らだった。 それは一年生の頃、6月半ばのある日。 一人当番で残っていた俺は、部室で言い争う手塚と不二の姿を目撃してしまった。 いわば俺が、初めてこの二人と関わった日だった。 「だから何度も言っている。試合中手を抜いて、わざと負けてやるなんてことはするな」 「そんなことしてないよ。キミ、ボクのこと何だと思ってるの?」 緊迫したピリピリとした空気が窓越しに伝わってくる。 手塚は何かと目立つ奴ではあったが、それでも物静かなほうだった。不二はといえばそれに輪をかけて大人しく目立たない奴だったのだ。その二人がこんなあからさまな言い争いをしていることに、俺はただ驚いた。何とかこのまま立ち去ろうとしたのだが、実際はあえなく失敗する。 立ち聞きしていた俺に気付いた二人は、さっきまでの喧嘩はどこへやら。 一致団結し、俺を部室の中に引きずり込んだ。 「・・・で、俺を連れ込んでどーするわけ、お二人さん」 「どうするか」 「どうしようかな・・・」 衝動的に連れ込まれたものの、さてどうしたものやら。 腕を引っつかまれベンチに座らされ、机を挟んで二人と向かい合う。 「何か話聞かれてたみたいだし、やばいかなーって思ってとりあえず確保したんだけど」 「か、確保?」 不二が物騒な言葉を飛ばすと、手塚もうむと頷く。 「いや、たしかにこのまま帰すわけにもいかないだろ。俺としても密談のつもりだったからな」 「そうだよね」 「だから何なんだよお前ら・・・」 さっきまであれほど一触即発のムードを漂わせていたのに、何でいきなりこうものほほんとなるのか。俺は頭痛がしてきそうだった。自分を落ち着かせる意味も込めて、眼鏡を押し上げる。 とりあえず場を収拾して、早く帰りたい。 「とりあえず話を整理させてくれないか。不二くんは試合中に手を抜いた。そしてわざと負けた。手塚くんはそれに腹を立てている。そこまではいいか?」 頭を抱えてOK?と指差した俺に、手塚と不二はきょとんとする。 「・・・乾くんが仕切ってる」 「黙って聞きナサイ。で、なに?二人は試合してて、それで揉めてたってことか?」 「いや、違う」 腕組みした手塚が、いとも簡単に否定した。 「は?」 「今日の放課後練習の話だ。不二が武居先輩と試合しただろう」 「・・・武居先輩と?」 「ああ」 ちょっと待て。 「じゃあ何か?不二くんが武居先輩と試合したときに、手を抜いてわざと負けてやったと?」 「そうだ」 不二もうんうんと頷く。 「ぶっ!!」 俺は思わず吹き出した。一体何の冗談だ。 打って変わって不二が剣呑な視線を向ける。 「・・・ちょっと、ボクは自分のしたこと悪いとは思ってないけどさ、そこまで馬鹿にしきって笑われると腹立つんだけど?」 おいおい何言ってんだこいつら。もう呼び方は不二でいい不二で。 「いやだって、俺の見た限り、不二はそこまで強くないだろ?武居先輩はあれでも次期レギュラーって言われてるんだぞ?二年の中では結構強いほうなんだ。そりゃ手塚の思い過ごしだよ、そりゃ手塚はあっさり倒したけど・・・」 ガタリ。 いきなり不二が立ち上がった。 「乾」 いつもの少女然とした穏やかな笑顔が消えていた。 「表に出なよ」 石のように固まる俺の傍らで、手塚が一つため息をついた。 「・・・6-0。勝者不二」 審判の手塚の、しごく冷静な声が誰もいないコートに響き渡る。 「どうだ、見たかい乾くん」 不二はネットの向こうでえっへん、と胸を張っている。俺は呆然と立ち尽くしコロコロと転がるボールを見つめていた。 「・・・マジで」 ちょっと待て。何で不二がこんなに強いんだ? ありえない、たしかに入部テストのときも、自主練のときも、先輩と打ったときも、不二は大して強いほうではなかった。あくまで「そこそこ」というレベルだった。 「・・・お前、今まで手を抜いてたな」 「だから言っただろう、俺が」 手塚まで呆れたように言う。ああ、ものすごく納得したとも。なるほど、手塚はこのことに誰より早く気付いていたのだ。不二が、下手したら手塚自身に匹敵するくらい強いことに。 「・・・不二、お前なんで手なんか抜いて打ってるんだ?」 俺の素朴な疑問だった。 「俺も手塚の言うとおりだと思うよ。相手にも失礼だし、正直感じも良くない。手塚が実は利き腕と逆の手で打ってた、って知ったときも俺は同じことを思った」 不二はネットの向こうで、遠くへ視線を逸らした。 「手塚は、お前が自分と同じ轍を踏まないようにと思って忠告してくれたんじゃないのか?」 不二の瞳が、少し拗ねるような色に変わった。 「分かってるよ・・・」 湿気を含んだ風が吹き、不二の髪がふわりとなびいた。 「手塚が善意で言ってくれてる事も分かってるよ。でもボクは・・・やっぱり多少気を使うことは必要だと思う」 「それは違うぞ」 黙って見ていた手塚が口を挟んだ。 不二はふるふると頭を振る。 「手塚は怒るかもしれないけど、ボクはキミのようには思えないよ。現にキミだってそれで痛い思いをしてるじゃないか。部長が仲裁に入らなかったらあれじゃ済まなかったかもしれない」 「屈しなければいいだろう」 平然とした手塚の声に、不二は信じられないというように噛み付いた。 「キミ、怪我までさせられたんだよ?!まだそんなこと言ってるの・・・!」 不二と手塚の間に、また張り詰めた空気が流れ始める。やばい展開だ、とおれは内心冷や汗をかいた。 そんな俺の気も知らず、手塚までついに声を荒げて怒り始めた。 「ではお前は何なんだ、そうやっていつまでも逃げていつ本気を出すんだ?!」 「うるっさいな、キミには関係ないったら!!」 不二が切れかけている。 こりゃ限界だ、と悟った俺は、二人の間に割って入った。 「ほらほら、ストップ」 俺より少し小さい手塚と不二は、俺を間に挟んでまだいがみ合っている。 正直なところ、内心少しだけ面白かった。 (・・・こんな手塚や不二の顔を見ることになるなんてな) もし今日偶然立ち聞きしてしまわなかったら、一生知らないままだったかもしれない。 いつも涼しい顔をして、俺たちとは次元に立っているようなこいつらの、こんな一面を。 「不二、落ち着け。手塚はそういうことが言いたいんじゃないんだよ」 「は?」 不二の怒りは飛び火して俺を睨みつける。 手塚も何を言うつもりだ、と眉を顰めている。まぁ任せとけ。俺は眼鏡の奥でにやりと笑った。 「手塚はね、自分とだけはちゃんと本気で試合をして欲しい、って不二に言ってるの」 不二は大きく目を見開き、手塚が「なっ!」と声にならない声をあげた。 間髪いれず、俺は手塚に向き直る。 「そして不二はね、先輩が手塚に怪我させた事を許せないからこそ、真剣に試合する価値はないと思ったんだよ」 今度は手塚の表情が変わり、不二は「ちょ・・・っ!」と俺を止めようとして失敗したという顔で狼狽している。 二人の顔がなんだか紅く見えるのは、何も夕日のせいだけではあるまい。 なんだ、澄ました奴らかと思えば、案外可愛いところがあるじゃないか。 「お前らもさ、一回試合してみろよ。多分色々わだかまりも消えると思うよ」 おそらく手塚と不二ならいい試合が出来るだろう。不二も手塚相手なら喜んで全力を出すはずだ。 「俺もちょっと、お前らの本気対決って興味あるし。どう?」 二人はすっかり大人しくなってしまって、時折伺うように相手の顔をちらちらと覗き見ている。 結局のところ、お互いが気になって仕方がなかったのだろう。 「よし、万事解決」 何とかこれで無事に家に帰れそうだ。そういえば俺としたことが、あまりにも珍しい光景にデータを取るのも忘れていた。家に帰ってしっかりノートに記録しておかなければ。テニスにはメンタルも重要だ。 「・・・なんかムカつくなぁ」 「・・・同感だ」 どんよりと押し殺したような二人の声が耳に届く。 「は?」 「乾くんみたいにいっつもやる気なさげな人に、こんなふうに丸め込まれるのってムカつく!」 「ちょ、おいこら!やめろって!!」 二人は落ちているテニスボールをむんずと掴んだ。 目が本気だ。 「硬球投げるなー!!」 あの日以来。 なぜか俺に対しては、したたかな素の顔も見せるようになった不二と、俺に対しても少しは愚痴なども話してくれるようになった手塚との、三人の付き合いが続いている。 小五で一時期テニスを辞めて以来、どうものめり込めずにいたテニスにも、「二人に勝ちたい」という気持ちが情熱を復活させてくれた。 「乾もさ、結局はテニスバカになったよね?」 「入学当初はあんなにやる気なさげだったのにな」 「うるさい、お前らにだけは言われたくないぞ」 「結局さ、ボクたちってあれだよね」 「テニス友達」 あのとき、笑いながら俺たちの関係をそう名づけた不二の顔を、今でも覚えている。 そう、あの頃はただ、三人が対等に互いを高めあっていく関係だったのだ。 そして俺には、この天才二人をほかの誰よりも理解しているという自負もあった。 しかし変化は俺の気が付かない場所で始まっていて、ある日突然訪れた。 あれは中二の秋頃だった。 三人の中で、手塚と不二の関係だけが変化したのは。 |