「先輩のことずっと好きだったんです!」

突然耳に入ってきた声に、驚いて振り返る。一瞬自分に言われたのかと周りを見回したが、辺りに人気はない。どうやら外らしい。

開いていた窓から身を乗り出すと、校舎の陰に二人の男女が立っているのが見えた。普段なら人気のない場所だから告白に選んだんだろうが、悲しいことに俺のいるところからは丸見えである。
ここは黙って立ち去るのが親切か、と窓を閉めようとしたとき、告白されていた男の顔がはっきりと見えた。

手塚だ。


「お願いします、私と付き合ってくださいっ!」
女の子の方は体育会系の部活の下級生らしく、緊張しすぎて裏返った声でショートヘアの頭を下げている。しくしくと泣く事もなさそうな、サッパリしてそうな子だ。まさか他人に見られているとは思いもしてないだろうことが哀れを誘う。
だって、手塚の返事なんて分かりきっているのだから。
『悪いが、今はテニスに精一杯だ』

「申し訳ないが・・・」
ほら来た。
俺は窓を閉めて立ち去ろうとする。

「他に、付き合っている人がいるので」


・・・何ぃっ?!

一人悠々と佇んでいる手塚に、まさかそんな断り方をされるとは思っていなかっただろう女の子がぽかんとしている。

その日のうちに、あの手塚に彼女がいるらしいというニュースが校内を駆け巡った。




「いーぬいっ!」
背中にドン、と重みが加わる。
「おっと」
「よっす、菊丸だよーん」
いきなり後ろから飛びついたかと思うと、軽業師の英二はぴょん、と俺の脇に着地してあいさつ代わりに右手を上げてみせた。
「ねーねー乾、もう聞いた?手塚に彼女がいたってヤツ」
「ああ、聞いたよ。さすがに放課後にもなると広まってるもんだな」
俺が聞いてしまったのは昼休みだったが、さすがセンセーショナルな噂話は広まるのが早い。
「ほへ?」
英二が不思議そうな顔をするので、とんとんと自分の胸を指で叩く。
「俺、目撃者」
一瞬間が空いた。
「マジでーっ?!何、手塚の奴マジでそう言って断ったの?ガセじゃなくて?」
よほど驚いたのか、英二が身を乗り出してくる。
「ああ、確かにそう言ってたよ。他に付き合っている人がいるって」
「へ〜っ」
手塚のヤツ、ついにカミングアウトかよ〜っと英二は目をぱちくりさせている。
「・・・けどさ、さすがに不二の名前までは出してないよな?」
英二は急に小声になって、周りを憚るようにした。
「ああ、心配ない。これであいつが血迷って不二の名前まで出してたら、校内大パニックだろうな。職員室に呼び出しかかるぞ」
「親まで呼ばれるかもね」
英二はぷっと吹き出した。そしてふと、遠くを見るような目になる。
「・・・思い切ったね、手塚の奴。今まで『彼女はいない』で通してたから、これからもずっとそうだと思ってたのに」
「色々と心境の変化があったんじゃないか、あいつも。まぁこれからが大変だろうな、すでに校内では秘密の彼女について憶測が飛び交ってるぞ、年上だとか、実は教師じゃないかとか・・・」
冗談を言ってるつもりだったのだが、英二の目がじっと俺の顔を見ていることに気付いた。
「・・・何だ?」
「乾さ――・・・なんとも思ってないの?」

「・・・何を?」

嘘だ。英二の言いたい事は、何となく分かる。

「――俺さ、乾って手塚か不二のどっちかのこと好きなのかと思ってた」

「・・・・・・」

廊下に落ちる夕日が、影を作る。
「何でも俺や大石と一緒にしちゃ駄目だって分かってるけどさ」
頭の上で手を組んで、英二はまるで大人のような表情をした。
「何てゆーか乾って、手塚と不二の前では違う顔するときあったじゃん。俺や大石とは違う意味で、あいつらの近くにいるんだなって思ってたんだ」
「・・・そうかな」
それは、データをとりたいが故だったのだけど。
あいつらに付いて回ったのは。
「そうだったよ?色々三人で通じ合ってんのかな、って大石とも話したことある」
「・・・何だそりゃ」
心底不可解、という顔をしていたのだろうか。ぷっ、と英二は吹き出した。
「ま、あと少しで卒業だし?色々上手くいかないコトもあるかもしんないけど」



「そういう関係、大事にしなね」


じゃーね、と手を振りながら去っていく背中が見えなくなるまで、乾はその場に佇んでいた。
部活を引退してから、もう放課後になっても彼らと顔を合わせることはない。
今まで毎日のように顔を合わせていた連中と。
今はもう、会おうとしないと会うことも出来ない。
手塚や不二とも、同様だ。

「・・・そういう関係って」

「恋人」という大義名分すら、自分にはない。

「・・・どういう関係なんだろうな、一体」



夕日が眩しい。

三度目の秋が巡ってくる。








今年は、テニスをしない秋だ。
「不二」
「あれ、乾じゃない」
移動教室中の彼を捕まえるのは簡単だった。
何のことはない、噂の渦中の「手塚の彼女」にその心境を尋ねてみたいだけだったのだが。

「で、どーなんだ、手塚とは」
「失礼だね、誰が“彼女”なんだよ」
手塚の『他に付き合っている人がいます』発言は一日たつと更に広まって、もう校内で知らない者はいないというスケールにまでなった。 昨日俺が言ったとおり、相手は絶対年上だのOLらしき女と歩いているのを見ただの、尾ひれが付きまくって話題になっている。
「あいつ有名だからな。俺も散々人から聞かれたぞ、元チームメイトだから何か知ってるだろって」
「ボクもだよ。朝来たら女子から質問攻め。ほんとに手塚って、自分の言ったことの影響を全然理解してないよね」
困ったもんだね、と肩をすくめる不二の顔を、俺はじっと見つめる。
長い事じっと見ていたものだから、さすがに気味悪がられた。
「何?乾」
「・・・お前ってさ」

「手塚が何人に告られても、絶対に『自分が手塚の恋人です』とは言わないんだな」

「・・・は?」

思いっきり「訳が分からん」という顔をされた。ま、当然の反応だろう。

「・・・何、ボクにカミングアウトしろと?」
「いや?そりゃするもしないもお前らの勝手だけど」
「わざわざ人に触れ回ることでもないだろ」
「そうやって一生忍ぶ恋し続けるのか?」
「・・・あのね」
不二は明らかに気分を害している。
自分たちのことに口出しするな、と。
「『付き合ってる人がいます』だけでここまで騒ぎになってるのに、この上デキてます宣言までしたらボクら学校にいられなくなるじゃないか。親にもバレるし」
「だからずっと隠し続けるのか?そうだな、良識的で賢明な判断だ。不順同姓交友、醜聞がたったら手塚の留学もどうなるか分からないからな」
「・・・言いたいことがあるなら、はっきり言ったら?」
俺の含みのある言い方に、不二がはぁ、とため息をついた。
うんざりしたように琥珀色の髪をかき上げる。

俺は、今まで二人のことに口出しした事などなかった。
不二にすれば、何で俺が今日に限ってこんなに絡んでくるのか訳が分からないだろう。


そんなの、自分だって分からないんだ。


「俺は知ってるよ」

「・・・?」

「俺は知ってる。お前と手塚の関係。証拠だって揃えられる」

「・・・何が言いたいの」

不二の瞳に剣呑な光がさす。
まともに見たら凍りつきそうな青白い怒りさえ、俺は無視する。

一歩迫った。

「もし俺が、うっかり口を滑らせたら・・・どうなるだろうな」


『目撃者』
去年の秋、俺をそう評したのは不二だった。

安穏と歩んできた道筋に、不意に現れた通行止め表記。
飄々と笑う俺に、不二は人一人殺せそうな迫力のある視線を突きつける。
「俺がうっかり口を滑らせれば、大した騒ぎになるだろうな」
「ねぇ、乾」
「味方だって約束した覚えもないし」
「どういう・・・」
「不二ってさ、俺のことどう思ってた?」

わずかの間も開けず、不二はその単語を口にした。

「『友達』だよ」

狼狽も逡巡もない、強い視線が突き刺さる。

「友達、ね・・・」

俺はふっと笑った。嘲笑うような嫌な笑い方だったと自分でも分かった。

「同姓間で友達だの恋人だの・・・」
「だったら何だよ。バラして、ボクと手塚が苦しむのを見て乾は満足するの」
「お前らさ、それが『恋愛』だって胸張って言える?」
「は?」

「お前らの『それ』が恋愛だったらさ・・・友達って何?恋愛とどう違うんだ」

なあ、自分の中にとぐろを巻くこの執着は、なんと名づけたらいいんだ?



『大事にしなね、そういう関係』

昨日菊丸に言われた台詞。
そういう関係って、どんな関係なんだ?


俺とこいつらとの間には、何か根付くものが在ったのか?


自分より20センチ近くも小柄な体を、自分の体で囲い込んだ。
壁に追い詰めて、不二の逃げ場をなくす。

「不二」

これは、領域侵犯だ。

眼鏡が不二の顔に当たる。





女みたいな華奢な体を、押さえつけて口付けた。





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