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「おーい」 データを読み上げるときと同じ無機質な声で、数メートル先を歩く彼を呼んでみた。 「あれ、乾じゃない」 振り返った姿が、去年のあの日とダブる。 「お前もサボりか、不二」 一年の頃に比べれば背も伸びたし、テニスも性格もタチが悪くなったけど、不二のその柔らかい笑顔はあの頃から変わらないままだ。 級友たちは教室で真面目に授業を受けているのに、自分達はサボっていると思うと、子どもじみているが気分がいい。 さてどこに行こうか、ということで、満場一致(二人だけだが)で決定したのは屋上だった。もちろん立ち入り禁止だが、言い換えれば先生に見つかる心配もないということ。眺めもよく、サボりに最適なのだ。 乾はドアの桟に手を伸ばす。そこから細長い針金を取り出すと、慣れた手つきで鍵穴に差し込んで回し始めた。 カチャッと音がして、押すと扉はあっさりと開く。 「さすが、早業だね」 一分も掛からないなんて、と横でからかうように不二が笑った。 お前だって出来るくせに、と乾は軽く小突く真似をしてニヤリとする。 ―― コツがあるんですよ 昔、そう言ってある先輩が教えてくれた。 今ここにはいない、もう一人にも、一緒に。 扉を開けると、視界は一面青空になった。 「気持ちいいね〜」 彼にしては少し大げさな身振りで、不二はぐっと両腕を上げて背伸びをした。 「快晴だね」 「雲量ゼロだな。秋といえば鰯雲だが」 校庭の木々も紅葉し始めた、秋も深まる季節だ。乾はその場に腰を下ろす。不二は柵に背中を預けて立ったまま、空を見上げている。 「なあ、不二」 「なに?」 「なんかヤな事あったんじゃないのか?」 不二は少し驚いたように目を見開いたが、少し困ったような笑みに表情を変えた。 立ったままの不二を見上げ続けるのは少し首が痛い。乾も不二のように立ち上がり、柵にもたれかかる。 「よく分かったね」 「だってお前、授業サボるタイプじゃないし」 「そんなの乾だってそうじゃない」 まぁね、と乾は息を吐く。仮にも学生の身分、成績が下がれば部活にも差し障るし、ただでさえ試合で授業を抜けることも多いのだ。教員に目を付けられたら面倒極まりない。 それに、乾は机に座ることが別段苦痛にならないタイプだ。 「俺は具合悪い奴を保健室に送ったところだったの」 結局そのままサボっちゃったけど。 「ボクも、気分が悪くなったんだよ」 乾は、隣で微笑んでいる不二の顔を見返した。 その微笑みはいつも通りに見えたけど、陰があるといえばそうかもしれないし、全くいつも通りと言われればそう見えないこともない。 他の部員よりは親しく、近くにいる自負はあるのに。 ――正直な話、自分はまだ彼を掴みきれていない。 「授業中、なんか考え出したら止まらなくなっちゃって」 退屈な授業。興味のわかない分野。 ふと頭に浮かんだことを、どこまでも突き詰めてしまった。心に引っかかっている事をずっと、考えて、考えて。――まったく、暇というのはろくな事を生み出さない。 「窓の外見たら、すごくいい天気だったからさ」 ――気持ちよさそう。 「そう思ったら、気が付いたら先生に言い訳して教室飛び出してた」 頭の中を回り続ける、答えの出ない問いから逃げる事は出来なくとも。 「お前って、案外直情型だよな・・・」 乾は眉を寄せて笑った。否定できないなぁ、と不二も笑う。 「ま、息抜きは必要だよ、不二」 「・・・うん」 不二は微笑んだまま目を伏せた。 「嫌な事を考え出して止まらなくなったときは、こうやって空眺めて青春したくなる事だってあるさ」 「まったくだよ」 「お前が何を悩んでるのかは、知らないけどね」 不二は、そのままずるずると座り込む。ひざに顔をうずめると、小さな声を返した。 「簡単なことなんだ」 今の不二がどんな顔をしているのか、乾はもう見なくとも分かった。 一年余りの短い付き合いでも、彼はなぜか自分にはよく本音を吐露していたから。 この一年で見てきた、彼の手塚を想うときの、切なさや愛しさをすべて抱えた瞳が目に浮かんだ。 「手塚が好きなんだ」 「うん、知ってる」 一年の終わりから不二は、普通胸の内に秘めておくであろうそのことを明言している。自分と、手塚本人にだけは。 「だから、もっと楽して欲しいんだ」 「・・・ラク?」 「自分のこといたわって欲しいんだけど・・・聞きゃしないから、あいつ」 不二が手塚の何を指してそう言うのかは、乾には分からない。 「新部長になったから、頑張ってるところなんだよ」 「だからって・・・」 不二は、下ろしていた拳をギリッと握り締める。 悔しそうに、本当に悔しそうに、彼は声を絞り出した。静かでいて、激しい憤りが伝わってくる。 今の不二の心の中は、手塚のことで一杯なのだろう。 彼が手塚の何に対してそこまで憤っているのか、乾は知らない。 不二は、どんなに心を開いてくれていても、すべてを晒すことはしないからだ。 だから、乾はそれ以上立ち入らない。 此処が、ギリギリのライン。あえて踏み込まない、任意の境界線。向こうが踏み越えてこない限りは、不可侵。 コートに立つ手塚のフォームが、最近になって少し崩れることが多くなった。乾が唯一分かっていることはそれくらいだ。 「なんで・・・」 ボソリと、風にかき消されそうな声で乾がつぶやく。 「何でお前も、手塚も、俺とつるむわけ」 手塚と不二の関係は、自分を合わせたものとはまた違う。雲の上とまでは言いたくないけれど、彼らの二人でいるときの領域こそ他人を寄せ付けず、乾はいつも門前で足踏みして立ち入る事ができない。 すると不二は、含みのない顔で微笑んだ。 「だって乾は『目撃者』だから」 ――去年のあの日、もう誰も残っていない部室で。 「乾はボクのことも手塚のことも、みんな知ってるから」 「・・・知らないよ」 「じゃあ訂正。『分かってくれてるから』」 「あくまで二等辺三角形なワケね」 乾は何となくため息が付きたくなる。まったく、こいつらは。 「手塚は何をしてるんだよ」 「下。体育だよ」 唐突に言われて目を見張る。慌てて柵を覗き込むと、確かに緑色のジャージの二年生が体育の授業中だった。 その中に確かに一人。 本人が意図していなくても、整いすぎた顔立ちと年齢不相応の雰囲気で、同級生の中でやたら異彩を放つ人物がいた。 「・・・お前、確信犯か」 「用法が正しくないよ、乾」 不二は何を思ったのか、柵に足をかけ身を乗り出した。 「てーづーかーっ!!」 校舎中に響きそうな大声だった。 グラウンドにいる全員がこちらを向く。 「おいっ、馬鹿っ!」 慌てて引き摺り下ろそうとするが、時すでに遅し。 「何をやっているんだ、お前らは!!」 怒髪天を突く勢いの手塚新部長から、負けず劣らずの怒鳴り声が返ってきたのだった。 |