|
『七不思議を全部知ってしまうと、不思議の世界に引きずり込まれてしまうんだ。だから、七つ目の不思議が何なのかは誰も知らないんだよ』 五つ目の不思議までを、回り終えた。 しかし、六つ目の不思議に移ろうとしたとき、案内役をしていた不二の姿は消えていた。 『さあ、次の不思議へ行こうか』 微笑みを浮かべて自分たちを誘導していた、先輩の姿が忽然と。 「最初から、いなかった・・・?」 桃城たちは困惑した。一つ目の不思議が終わってからは、かの先輩はずっと自分たちと一緒にいた。そう、間違いなく。 手塚の様子は変わらなかった。ただじっと、腕組みをして三人の姿を見つめ続けている。 三人は顔を見合わせていたが、やがて無言で頷いた。 「部長、失礼します」 「どこへ行く」 「六つ目の不思議の地点へ」 決心したというよりも、どこか飄々とした様子の桃城がポケットに手を突っ込んで立っている。その顔に、余裕のある笑みが浮かんでいた。 今までとはまるで違う態度だった。 「大丈夫、最後の不思議が屋上だってことは幸いにも分かってますから。多分不二先輩はそこで待ち構えてる」 隣に立つ越前が、ふてぶてしくため息をついた。 「・・・ホント迷惑」 「まあそう言うなよ、次がラスボスだ」 「・・・フン」 顔を背けた海堂もまた、微塵も動揺した様子はない。 「今更、何が来たところで驚かねえ。次で最後なら、とっとと終わらせるまでだ」 「んじゃ、行くか」 呑気な号令がかかる。リョーマは欠伸をかみ殺し、海堂は無言で顔をしかめていた。それでも、奇妙に三人の空気はまとまっている。 わずかな驚きをもって、手塚はその様子を見ていた。 不貞腐れた顔のリョーマの頭をぽんぽんと撫でている桃城。その二人に決して溶け込むことはなくとも、遠くない距離に落ち着いた態度で佇んでいる海堂。 二人に挟まれて立っているリョーマの、その体格が記憶の中のものよりいくらか大きくなっていることに、手塚は初めて気付いた。 手塚の前で、三人はそれぞれ懐中電灯のスイッチを入れた。号令をかけたわけでもないのに、その動作はぴったりと揃っている。 「んじゃ部長、俺たちここで」 「・・・桃城」 背を向けて、三人が歩き出した。呼び止められた桃城だけが、肩越しに振り返った。リョーマと海堂は聞こえていないかのように先へと歩き続けている。 続く手塚の言葉を待たずに、桃城の顔がニッと快活に笑った。 「・・・今は俺が部長、っスね」 大きさの違う三人分の影が、遠ざかっていく。 手塚はただ無言で、じっとその姿を見守っていた。 階段を登るカンカンという足音が、夜中の学校に響いた。それも三人分の足音だ。 まるで競争しているような速さで、三人は駆け足で階段を上っていく。 「本当に屋上で合ってるんでしょーね」 「おう、俺も七不思議の全部は知らなかったけどよ、六つ目が何かは覚えてる。『屋上の異次元空間』で間違いねえ」 「もしそれが間違ってたら、このゲーム終わらないっスから」 「そんな圧力かけんなよ。大丈夫、間違いねえよ」 笑う桃城は、やけに自身ありげだった。隣を走るリョーマと海堂が、思わず顔を見合わせる。くっくと笑いながら、桃城は続きを話して聞かせた。 「俺が思うに、この七不思議ツアーはただの肝だめしじゃねえよ」 「・・・肝だめしじゃなかったら、何だっていうんスか?」 「それはまだ分からねえ。けど不二先輩や英二先輩はともかく、手塚部長まで参加してるんだぜ?これは絶対に何かある。これは肝だめしを装って、実は別の目的があるはずだ」 「カモフラージュだった、ってこと・・・?」 「ああ、そして、最後の不思議の場所で不二先輩が待ってるはずだ。そこでその何かが明かされる」 揺らぎのない桃城の目に、暗闇でも明らかな光が宿った。同輩であり二年越しのライバルでもある海堂が、フンと鼻を鳴らした。 「・・・そこまで言い切れるならよっぽどだな」 「何言ってんだよ。お前らだって気付いてたんだろ、どーせ」 あの、個性派揃いの先輩たちの下でやってきた。二年というその歳月は決して長いものではないが、その濃さには遥かに自信がある。 そういつまでも、先輩たちの背中を見ているだけの自分たちじゃない。 「・・・そろそろ勝たせてもらわねえとな」 隣を行く越前が、からかうように笑っていた。 「外れてたら赤っ恥っスよ?桃先輩」 「言ったな?じゃあ、とっとと屋上へ行こうじゃねえか!」 その瞳が、爛々と輝く。どんなに劣勢でも諦めようとしない、コートの彼らそのままの顔で。 「・・・行くぞ」 「っス」 「ああ」 三人の姿が、一つに重なった。 屋上へと通じる扉が、勢いよく開け放たれた。 びゅう、と風が吹き込んできた。 夏の暑さを感じさせない、心地よいひんやりとした涼しさを運ぶ夜風だ。 一歩踏み出して、足を着いた屋上のアスファルトの地面。遥か遠くまで、星屑のような点々とした光が広がっていた。 それは青春台の、街並みの明かりだった。屋上から見渡す景色はすべて真っ黒に染まりながら、家々の灯だけが優しく夜景を作り出していた。 ジャリ、と音を立て、三人は一歩踏み出した。 外とはいえ、星一つない夜空のせいで視界はほぼ闇に包まれている。 しかし。 その闇の中でただ一つ、小さく揺らめく蝋燭の明かりを見つけた。 「・・・来たね、三人とも」 「・・・不二先輩」 屋上の、ほぼ中央に。変わらない様子で、不二が佇んでいる。 その手には、なぜか火のついた小さな蝋燭があった。闇の中でその炎は小さく揺らめきながら、不二の顔を照らしていた。 「ようこそ、六つ目の不思議へ。ここの担当者はボクだから」 「分かってます・・・でもそれなら、どうして途中まで同行してくれたんスか?」 桃城の問いに、不二は優雅に微笑んだ。 「最後の当番のボクでないと、できないだろう?案内役と、監視役も兼ねてたんだよ。君たちが滞りなくこの最終地点の屋上までたどり着けるようにね」 「じゃあ、そろそろ教えてもらえますかね?この肝だめしの本当の目的を」 ふふふ、と不二が軽く笑みを漏らした。 それに伴って、蝋燭の炎が揺れる。夜風に流されて、煙の匂いが三人のところまで届いた。 「その前に、六つ目の不思議の話をしようか」 六つ目の不思議。 午後九時ぴったりに屋上の真ん中に立つと、異次元空間に吸い込まれる。 不二は腕にはめた時計に目をやった。後数分で、時刻は九時ちょうどになる。 「これから、ボクが実際にやってみせるから。君たちはそこで見ていて」 桃城がふっと笑った。 「それが終わったら、いよいよ本当の目的を明かしてくれるんスね」 見返す不二に、桃城は一歩歩み寄った。越前も、海堂も、じっとその背中を見守るように後ろで佇んでいる。 「先輩方がどういう目的で、俺たちを呼び出したのかは分かりません。どうしてわざわざこんなセッティングをしたのかも」 そりゃ、少しは遊び心も混じってるかもしれませんが。 小さく付け足して、桃城は少し笑った。 「先週、俺は部長に、海堂は副部長に任命されました。正直まだ至らない点だらけっス。先輩たちの影を追って、俺は部長に向いてねーんじゃねーかなんていっぱしに悩んだりもしました」 桃城の顔は、毅然と不二のほうを向いていた。 その後ろの海堂も、越前もまた同様に。 「先輩方が引退すれば戦力ダウンは否めない。人からそう言われて、俺たち自身もそう思ってました。ひょっとしたら先輩方も、俺たちを心配して今日こうして呼び出したんじゃないスか」 けれど、と。 「それは違うんスよね。最初から強いチームなんてないんだ。俺たちの強さは、俺たち自身で作り上げてかなきゃいけない。もし俺一人だったらキツイけど、そうじゃないっスから」 桃城の顔が、微笑んだ。彼らしい、精悍な笑みだった。 「俺には海堂も、越前もいる。これって全然、頼りなくなんかないと思いませんか?」 優しい微笑みを浮かべる不二の顔を、蝋燭の炎がゆらゆらと照らし出した。 「時間だ」 「えっ?」 桃城、そして海堂が、腕にはめた時計を覗き込んだ。越前もそれに飛びつくようにして覗き込む。 時刻は、後ほんの数十秒で九時になろうとしていた。 「不二先輩・・・」 「ねえ、三人とも」 歌うような不二の声が、風に乗って届いた。 「七不思議を全部知った人間は、不思議の世界に引きずり込まれて消えてしまう。だから七つ目の不思議はずっと謎だと言われているけど、はたしてそうなのかな」 夜風が不二の髪の毛をさらさらとかき乱した。 その顔は、いつもの微笑みを浮かべている。 「さあ、後十秒で九時だ。六つ目の不思議は起こるかな」 固唾を呑んで、三人は時計と不二を見比べていた。 秒針がチッチッと進んでいく。心の準備をする間もなく。 「7、6、5・・・」 「不二先輩?!」 「4、3・・・」 不二の足が、ぴったりと屋上の真ん中に揃えられた。 蝋燭の炎が激しく揺らめいている。 「2、1・・・・・」 ふっ、と。 不二が、蝋燭の炎を吹き消した。 そして。 ひゅるるるぅぅ〜〜〜・・・ 白い煙の塊が、夜空へと舞い上がって。 どっぱ――ん!! 「た〜まや〜♪」 聞き覚えのありすぎる、呑気な声が耳に届いた。 うちわで顔を扇ぎながら、フェンスに菊丸が腰掛けている。 「乾、もいっちょいこうよ」 「ああ、任せろ」 脇に座る乾が、実に楽しそうに導火線に火をつけた。 どどん、ぱーっん! 大輪の打ち上げ花火が、夜空に咲き乱れる。 「・・・せ、せんぱい、がた?」 最早言葉もない三人を他所に、今度はぱっと屋上自体が明るくなった。 電気が付いた屋上のアスファルトの上には、三年の元レギュラーたちが勢ぞろいしている。 「ほら、桃、海堂、越前。早くこっち来て座れよ」 「はあ?!」 今度は大石が現れ、半ば強引に三人を引っぱりこんだ。 「お疲れ、三人とも。今焼き鳥が出来上がるからな、好きなだけ食えよ」 ジュージューと油がはねる音に振り返ると、タカさんが慣れた手つきで網の上の串をひっくり返していた。美味そうな焼き鳥の匂いがあたりに漂っている。 呆然と、三人はその場に突っ立っていた。 「ほら、コップを回せ」 「うわああっ?!」 脇から手塚が顔を出した。 「ウーロン茶にジュースと、一通り買ってきてあるから好きなものを注げ。ただし乾杯があるからまだ飲むなよ」 「あ、あの・・・」 「酒はないぞ」 「いや、そうじゃなくて・・・」 「あ、手塚。ボクにもちょうだい」 今度は不二が顔を出した。 「あ、三人ともお腹すいたでしょ。焼き鳥もうちょっとだから、それまでお菓子でも食べてる?英二が色々買ってきてくれてるから」 ほらほら〜、と菊丸がポッキーの箱を放り投げた。律儀にそれをキャッチしてから、桃城はおそるおそる不二たちに問いかける。 「あの・・・先輩方、そうじゃなくて・・・」 「あ、ごめんごめん」 忘れてた、と不二はビニール袋からがさごそとパックを取り出した。 スーパーで売っているような、花火。 「これ桃たちの分。後でみんなでやろうね」 にっこりと微笑まれて、ついに桃城は大声を上げた。 「だからそうじゃなくて!これは一体何なんスか――っ!!」 きょとん、と三年生たちは顔を見合わせる。 「いや、元は中学生活最後の夏だからなんかしたいな、って思ったのがきっかけなんだけどな」 「そしたら英二が、親戚の方から大量に花火貰った、って言うから」 にこにこと語らっている大石とタカさんに、菊丸がひょいっと顔を出す。 「乾なんか悪いんだぜ〜?コイツ立ち入り禁止の屋上の鍵の開け方知ってんの!なんでかわかんないけど手塚と不二もだよ?!」 「やだな英二、ヘアピンで鍵開けなんてベタなことが得意なのは乾だけだよ」 「何だそりゃ。お前らだってノリノリだったじゃないか」 「・・・あのー」 おずおずと、桃城が手を上げた。 「あの、七不思議を回って肝だめしをしろというのは・・・」 事も無げな調子で、答えが返ってくる。 「焼き鳥焼いたり、準備に時間が必要でな。どうせならその間に、時間稼ぎも兼ねてちょっと楽しんでもらおうかと思って」 「ナイショで進めてるのに、うっかり屋上に来られたら大変だからな。不二が見張り役になって」 「なあ、桃、海堂、越前。どうだった?」 魂後と抜けそうになるのを必死で押さえ込みながら、桃城はようやく言葉を発した。 「・・・あの、本当の目的というのは・・・」 「納涼・花火大会だよ?」 三人は燃え尽きた。今度こそ、真っ白な灰になった。 「・・・分かってた、こんな人たちだって分かってたけど!」 「こんなオチのために、俺たち学校中行きまわったんスか」 「フシュー・・・」 涙も枯れる。疲れも倍増。更に哀れなことに、そんな彼らに同情するものは今この場にはいないのだ。 そして、五分後。 次から次へと乾たちが打ち上げる花火を見ながら、桃城は焼き鳥をほおばっていた。その横には同じく串を加えている越前がいる。 「・・・何だかなー」 「振り回されましたね」 至極冷静な声にがっくりと肩を落としながら、桃城は打ち上げ花火組みを見つめた。 最初は糸が切れたように脱力していた海堂も、今は乾の元へ行って花火を上げるのを手伝っている。 次から次へと、大輪の花火が夜空を彩った。 「・・・ていうか苦情、来るんじゃねえか?」 「尻拭いは任せるっス」 「おいおい」 早い時間に、打ち上げ花火はすべてあげてしまおうということだろうか。赤や緑の花火が空に上がるのを見ながら、二人はアスファルトに腰掛けていた。 「さあ、そろそろ乾杯しようか」 大石の声が響き、花火組みが戻ってくる。 それぞれがアスファルトに腰掛け、手に手に紙コップを持った。 「・・・ん?」 三年生たちの視線が自分たちに向けられていることに気付き、桃城たちはぎょっと肩をすくませた。 「ねえ、桃」 一番近くに腰掛けていた不二が、桃城に微笑みかける。 「さっき、七不思議の話をしただろう。七つ目の不思議は、本当に謎なのかなって」 「あ、はあ・・・」 「ボクは違うと思う。考えてみてよ、ボクたちの生活の中は不思議であふれてると思わない? それがまったくの偶然だったとしても、根拠がない限りすべて『不思議』と読んで差し支えないんじゃないかな」 たとえば、と。 「今日ここで、こうして座っていることすらね」 「それって根拠ないスか?」 「ないよ。そもそもボクたちが今こうしていることがどれほどボクたちの意志に関係ない偶然が積み重なっているか、考えてもごらんよ」 「地球の人口は60億人だからな。この9人が出会う確率は60億分の1の9乗。さらに青学テニス部で同期という確率になると、もうとんでもないことになる」 乾が横から茶々を入れた。不二もにっこりと微笑む。 「七つ目の不思議は誰も知らないって言うけれど、きっとそれは違うよ」 人は生まれてくる場所を選ぶことは出来ない。 自分たちで切り開いてきた道も、純粋に自分の力だけで選んできたのだと自惚れることはきっと誰も出来やしないだろう。 数ある国、数ある町。数ある学校、数あるスポーツの中で、今こうしていること。 その天文学的確率を表す言葉は、もはや偶然なんてものでは片付けられない。 「ひょっとして、不思議の世界はここだって?」 「うん」 「今ここにいるすべてが、不思議という名前の奇跡なんだよ」 乾杯の音頭は、その言葉だった。 九つの手が宙に伸び、紙コップを掲げる。 乾杯、と揃った声が、夜空に響いた。 こんな花火など小学生以来だ、などと言いながら、全員がそれぞれ花火に火をつけていく。火の元は不二が手に持っていた、あの蝋燭だ。 「おい越前、線香花火は最後にやるもんだ」 「・・・なんスか?この糸みたいな細いヤツ」 「お、ねずみ花火がある!火つけるぞぉ!」 パチパチとまぶしいほど光が生まれ、暗い屋上が明るく染まった。 もくもくと上がる煙に、風下に立った者がごほごほと咳き込んだ。どけ、お前がどけと小突きまわったあげく、しまいには全員が一列に並んで花火をし始める。 少し離れればいいものを、そうしないのは全員がこれが二度とないことなのだと分かっているからかもしれない。 三年生の引退、そして新体制に生まれ変わりつつあるテニス部。 夏の終わりの花火大会は、まるで過ぎていく時間をほんのひと時だけつなぎとめようとしたかのようだ。思い出という、温かい置き土産を残して。 花火の輪には加わらず、少し離れて手塚は腰を降ろしていた。 その隣に、すっと不二が顔を出した。 「不二・・・」 「ね、手塚。どうだった?本当のところ」 「・・・ああ」 本当は、少しだけ新体制になった後輩のことが気になっていた。 心配するのは無礼だと、無用だと思いながら、新しいテニス部を作り上げていく彼らのことを案じていたのも、また本音だった。 しかし、今胸の中にあるのは安心だけだ。 「あいつらは、強い。俺たちよりよっぽどだ」 「・・・うん」 『来年も、必ず全国に行きますから』 彼らの目は、たしかにそう言っていた。 「さあ、夏も終わりだ」 (了) BACK |