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「さあ、次はいよいよ五つ目の不思議だよ」 先を行く不二の足取りは軽い。 よくもまあ暗い廊下を、懐中電灯なしですいすいと歩いていけるものだと、後を続く三人は感心の眼差しを送った。 しかし、いよいよ五番目。さすがにいささか疲れを覚えてきたことは否めない。 「ま、最初からっスけどね・・・」 「まあな・・・」 脱力しながらも、三人は根気強く七不思議ツアーに付き合っていた。 「そういえば、桃先輩」 「ん?」 不意にリョーマは懐中電灯で、桃城の顔が照らした。 「次がどこか知ってます?」 先を行く不二に聞けば早いのだけど。リョーマは隣にいる桃城に尋ねた。 「ああ、俺も全部知ってたわけじゃねえからな。体育館のバスケ部の霊、一年七組の自殺者の幽霊、家庭科室の包丁ババア、スピーカーのうめき声ときたから・・・残すところは」 ひいふうと桃城は指を折りながら、あ、と思いついたように手を打った。 「たしか五番目が『踊り場の鏡』、そして六番目が『屋上の異次元空間』だ。それでおしまいだな」 踊り場の鏡?屋上の異次元空間? その妙な名称も気になったが、それはこの先行けば分かることだ。 それよりも、リョーマは気になったことを問いかけた。 「六つでおしまいって? 七不思議なんでしょ、七つ目の不思議はどうしたんスか?」 「あー・・・それなんだけどよ」 ぼりぼりと頭をかきながら、桃城はうやむやに言葉を濁した。 「実は学校の七不思議っていうのは約束事があんだよ」 「約束事?」 「ああ、七つ目の不思議は・・・」 その言葉を遮るように、前方から声が響いた。 「着いたよ。五つ目の不思議にね」 不二の指し示す先。 階段の折り返し地点の、少し広まった場所。三階から四階へと続く階段の踊り場に、大きな鏡が置かれていた。 全身が映りそうな大きさの鏡。しかしそれにはなぜか、黒い暗幕のような布が被せられていた。 「これ、鏡・・・?」 「何これ、なんか不気味・・・」 「来たか」 唐突に、低い重量のある声が響いた。 階段の手すりの陰から、手塚が姿を現したのだ。 「あ、部長!?」 「今はお前が部長だ、桃城」 驚いたように、三人ともが口をぽかんと開けている。 「・・・どうした」 「いや・・・今まで全部、先輩方が脅かし役をされてたっスから・・・」 「てっきり部長がこう、何か・・・」 あまりに普通に、あっさりと手塚が登場したので、面食らってしまったのだ。 手塚はふうと息をついた。 「脅かす必要はない。・・・五つ目の不思議は、この鏡そのものだからな」 「この鏡、そのもの・・・?」 五つ目の不思議。 真夜中に踊り場の鏡を覗くと、自分の死に顔が映し出される。 「自分の・・・死に顔っスか?」 「そういうことだ」 手塚は重々しく頷いた。 「布をめくって、覗いてみろ」 こっそりと、三人は顔を見合わせた。 (・・・なんか、仕掛けてると思います?) (でも部長だしな・・・) (面倒くせえ。さっさと終わらせるぞ) 桃城がはいと手を上げた。 「あのー、部長。この布は・・・部長が?」 それぞれの怪談において、企画演出はすべて担当の三年がやるといっていた不二の台詞を思い出したのだ。しかし手塚は首を振った。 「いや、ずっと昔から布がかけられている。よく見てみろ」 手塚に指されて、三人は鏡を覆っている布を覗き込んでみた。 上部にはうっすらと埃が積もって、白く変色している。あちらこちらに、日の光で色あせたと思われる箇所もあった。 たしかに昔から布がかけられているようだ。 「この鏡は、戦前まだ青学が木造校舎だった頃から設置されていたそうだ。今のこの校舎への移転に当たって、鏡も一緒に引き継がれてきたらしい」 「え、じゃあかなり古いもんなんスか?」 「ああ。もともとは一階の階段に置かれていたそうだが・・・色々と問題が起こって」 「・・・問題?」 「今の、あまり人通りのない四階に設置しなおされたそうだ。上から布をかぶせてな」 ごくり、と三人が息を飲んだ。 淡々とした手塚の口調には、妙な凄みがある。今まで散々驚かされてきた三人でも、容易に笑い飛ばせないような真実味が。 「・・・とりあえず、めくるか」 「スね」 「ああ」 三人の視線が、一瞬交錯した。 「誰がやる」 「テメエに決まってんだろ」 「ああ?なんだとマムシ?!お前がやればいいじゃねーかっ!」 「こういう役回りは貴様だと決まってる」 「んだとぉーっ!」 バーニングタカさんとの戦いで培ったチームワークはどこへやら。 やれやれ、とリョーマは肩をすくめた。 そして。 三人が、それぞれ布に手をかけた。 「・・・せーので行くぞ」 「せーのっ、スね」 「・・・フン」 三人の目が、一瞬合わされる。そしてすぐに、コートに立つような真剣さで、その目は鋭く鏡を覆う布へとむけられた。 「行くぞ、せーのっ!」 バサリ、と音を立てて、重い布が引き剥がされた。 長年積み重なってきた埃が宙に舞い、誰かがゴホゴホと咳き込んだ。 まもなく、まぶしい光が目に付き刺さる。それが、自分たちの懐中電灯が反射しているのだと知り、三人はそれぞれ懐中電灯の電源を落とした。 目の前に自分たちが立っているのを、三人は言葉もなく見つめた。 窓から遠くの町の光が差し込んでくる。 脇に立った手塚が、そんな三人をじっと見つめている。 不思議な静寂が、場を支配していた。 「・・・ふわ」 しばらくして、小さな呟きが漏れた。桃城だ。 「・・・本当に古いっスね、この鏡」 「ホントだ。表面ボコボコしてる」 リョーマが指で鏡を撫でると、すっと埃が取り払われ線が出来た。すすけて古びた鏡は、ぼんやりとした像しか映し出してはいなかった。 ぼやけた自分たちの顔が映っているのを見て、何となく苦笑が漏れた。 「ここ、昭和六年寄贈、って書いてありますよ」 「うわ、本当だ」 「こっちなんか錆びてるぞ」 「さすが戦前だな」 くすりと笑って、桃城はこんこんと鏡を叩いた。 「やっぱ鏡も、古くなるときちんと顔が映らなくなっちまうんだな。見ろよ越前、お前の顔なんかこんなところに映ってるぜ」 「は?何言ってんスか桃先輩。俺の顔はこっちっスよ?」 「え、じゃあこれはマムシの顔か?」 「・・・俺の顔はここだ」 「・・・え?」 桃城の指差す先。丁度肩の辺りに、もう一つ顔が映っていた。 一回り小さい、ぼやけた顔。 鏡の正面に立っているのは三人だけ。手塚は脇に立っている。鏡には映りこみようがない。 しかし、映っている顔は四つ。 「・・・じゃあ、これは誰の顔なんだ?」 指を指す桃城の手が震えている。 気付いたらしい海堂とリョーマの顔が、サッと青ざめた。 やがてその顔は、すうっと薄くなって消えていった。 「・・・ひっ、」 「う、」 うわあああああ、と三人が叫ぼうとした、その瞬間。 パッ、と光の塊が鏡に映りこんだ。 三人がおそるおそる、斜め後ろを振り返る。 懐中電灯を持って、手塚がそこに立っていた。 「桃城、それはお前の顔だ」 「・・・へ?」 ぽかん、とする三人に、手塚はスタスタと隣まで歩み寄ってきた。 「さっきまで、俺はお前たちの脇に立っていただろう」 「あ、はい・・・」 手塚が懐中電灯を、ぱっと桃城の顔に当てた。 「窓を見てみろ」 「え?」 桃城のすぐとなりにある、窓ガラスを見てみる。闇の中に、桃城自身の顔が映っていた。 「夜に電車に乗ると、ガラスに自分の顔が映るだろう。あれと同じで、俺の懐中電灯の光でガラスに映ったおまえの顔が、合わせ鏡の要領でその鏡に映りこんだんだ」 あっさりと説明され、思わず頷きかけたのだが。 ちょっと待て。 「・・・あの、それはつまり、部長が狙ってやったと?」 「俺は脅かし役なのでな」 「・・・脅かす必要はないとか言ってたじゃないスか?!」 「額面通りに受け取るな。それでは俺がいる意味がないだろう」 胸を張って言い返され、三人の肩からどっと力が抜けた。 ――何か、もう。 帰りたい。切実に。 そんな三人に、手塚は懐中電灯で鏡を照らし出した。 古くすすけた鏡は、もう正確な像を結ぶことは出来ないのか、まるで火の玉のようなぼんやりとした光の塊を映し出している。 「・・・部長」 「越前、部長は桃城だ」 「・・・手塚先輩、あれも全部嘘なんスか?」 もともとは、一階の階段に置かれていた。 けれど問題が起こって、人通りのない四階に移動しなおかつ布までかぶせたと。 「嘘ではない。問題が起こったことは確かなようだ」 「ええ?」 「この鏡は新校舎に移転した当初、生徒たちの教室のある一階に置かれていた。しかし休み時間に生徒たちが走り回ったり遊んだりするうち、鏡が割れて怪我をするということが何度かあったそうだ」 「・・・じゃあ」 「ああ、しかし昔からある鏡を廃棄するのも心苦しい。それで鏡は人通りの少ない四階へと設置しなおされ、ぶつかっても割れないように厚い布がかぶせられたんだ」 「・・・そんなオチですか」 がっくりと肩を落とした三人に、しかし手塚は少し表情を和らげて、こう続けた。 「それでも、昔からこの鏡には不思議なものが映りこむという曰くはあったらしい。何しろ古い鏡だからな」 手塚も三人も、すすけて、しかし堂々と立っている鏡を見つめた。 そこに手塚もあわせて四人の立つ姿が映っている。 「竜崎先生も学生時代、この鏡に妙なものが映っているのを見たことがあるそうだ」 「ええ、竜崎先生がっ?」 意外な人物の名前が出て、三人は顔を見合わせた。 「・・・そんなこと言いそうなタイプじゃないっスよね」 「ああ、幽霊なんて鼻で笑いそうなのに・・・」 「あれぐらいの年になったら、怖いものはないっスからね」 散々な言い様にさすがに手塚も少し顔を険しくしたが、やがて微苦笑するようにふっと和らげた。 「いつでも見れるものではないのだろうな。誰でも体験できたらそれは不思議でも何でもない」 「たしかに・・・」 「しかし、縁があればいつかは、不思議だと思えることを体験することもあるだろう」 沈黙が降りた。 しかしそれはとても落ち着いた、優しい沈黙だった。 こうやって、学校の怪談というのは受け継がれていくのかもしれない。 誰かが体験した、そんな噂を楽しく喋りあいながら。 「・・・さて、それじゃ行くか」 「そっスね」 「次、最後の六つ目の不思議に」 「待て」 手塚の低い声が降り、三人は一斉に振り返った。 手塚は、腕の時計を確認している。 「・・・部長?」 「いや・・・大丈夫だ。行け」 怪訝そうな顔をする桃城の、シャツの裾を、リョーマがちょいちょいと引っ張った。 「おう?」 「桃先輩、あの話の続きしてよ」 「あの話?」 「七不思議なのに、なんで六つ目の不思議で最後なんスか?」 ああ、と桃城は頬をかいた。 「七不思議っていうのはな、誰も七つ目が何なのか知らねえんだよ」 「・・・なんで?」 「七不思議を全部知った人間は、不思議の世界へ引きずり込まれて消えちまうんだ。だから、七つ目の不思議の話は誰も知らない」 「・・・おい」 海堂の低い声が、二人の話を中断した。 「あんだよ、マムシ?」 「不二先輩はどうした」 きょとん、と桃城とリョーマは顔を見合わせた。 一つずつ七不思議を回っていく中で、一つのふぢぎが解決するたびに姿を現していた先輩。 『さあ、次の不思議に行こうか』と、案内役と称して先に立っていた先輩。 不二の姿が、どこにもない。 「あれ、先輩?」 「せんぱーい、不二先輩ー?」 暗い廊下に、呼び声が反響して消えた。 返ってこない返事に、急に空気が緊張してくる。 「どこ行っちまったんだ?」 「先輩ー?」 「お前たち、何を言ってるんだ?」 手塚が、怪訝そうな顔をしながら見返してくる。 「お前たちは、最初から三人だけだっただろう」 「え?」 「俺は不二の姿は見ていない。廊下の向こうからお前たちが歩いてくるのを見ていたが、お前たち三人しかいなかったが」 「・・・え?」 次回へ続く。 BACK |