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三人の目の前に、黒い校舎が異様な迫力を持って聳え立っていた。 明かりのついている窓は一つもない。校舎自体が大きな塊のように、闇の中で佇んでいる。 「・・・うっわ」 ヒュオオ、と肌寒い風が吹いた。 「もう八月も終わりっすからね。そろそろ涼しくなってくるでしょ」 「まったくだ」 「・・・で、二つ目の不思議とやらは何なんだよ」 海堂の全身からさっさと帰って自主トレしたいオーラが出ている。 それは残りの二名とて同意見だ。 「えっと・・・何だっけな。二番目二番目・・・」 「ちょっと、しっかりして下さいよ。俺も海堂先輩も七不思議なんて知らないんスから」 「俺はそりゃ知ってるけどよ、順番まではあやふやなんだよ。大体かなりマイナーなんだぜ、青学の七不思議なんて」 「何でもいいからとっとと思い出せ」 「何だと、おい海堂・・・!」 また始まった。 背後で始まる小競り合いをさっくりと無視して、リョーマはさっさと校舎へ歩み寄る。 すると、玄関の前に白い人影が立っていた。 「あ・・・出た」 「うわあっ!」 桃城が驚いたような悲鳴を上げたが、リョーマのほうは平然としたものだ。ただ無言で懐中電灯の電源をいれ、人影のほうを照らし出す。 そこに浮かびあがった姿を見て、桃城と海堂も力が抜けてしまった。 「やあ。桃、海堂、越前くん」 聞き覚えのある声に、見覚えのありすぎる笑顔。 脱力する三人に、その先輩は軽く手を上げて微笑んでみせた。 「ふ、不二先輩・・・」 「こんばんは、三人とも」 とんとんと軽い調子で歩み寄ってくる。よく知る先輩の姿そのままに。 「案内役の話、英二から聞いてるだろ?」 「聞きましたけど・・・マジで先輩方全員かかわってるんスね・・・」 いささか疲れを覚えたが、勿論そんなことをいちいち構ってくれる先輩ではない。 案内役、と称したこの先輩は、優雅な手振りで校舎を指し示した。 「ボクは代表でね、ツアーコンダクターなんだ。ほら、脅かし役がお待ちかねだよ」 「どうしても行かないと駄目なんスね・・・」 「勿論」 先輩の笑みが、得体の知れない黒いものに変わっていく。 「テニス部主催の肝だめしへようこそ・・・運がよければ、どこかで本物に出会えるかもね」 二つ目の不思議。 一年八組には、いじめられて自殺した生徒の霊がでる。 「・・・マジすか?」 思い切り胡散臭そうに、リョーマが声を上げた。 どうせまた誰かが隠れていて、自分たちを脅かそうとしているんだろう。 「今度は誰なんスか?」 「それは行ってみての楽しみだよ。それに言っただろう?」 不二の笑顔が、冷たく凍ってゆく。 「運が良ければ、本物に出会えるかもしれないって」 ぞわわあっ、と三人に悪寒が走った。 「で、でも俺去年一年八組だったけど、別に何もなかったっスよ?」 やけに明るい声で、桃城が空元気を出す。へえ、と越前が驚いたような声を出した。 「桃先輩、去年も八組だったんスか」 「ああ、クラス替えは一応あったんだけどな。あげく去年は・・・」 桃城の目が、じろりと隣を歩く海堂に向けられる。 「このマムシとも一緒だったからな・・・」 「へーえ」 海堂の目もギラリと光り、間に立ったリョーマは首をすくめた。 一年生の教室は一階にある。八組にたどり着くのはすぐだった。 「じゃあ、ボクはここまでだ」 「ええっ?」 振り返ると、不二は廊下に離れて立っていた。 「実際に教室に入って、恐怖体験をするのは君たちだよ。頑張ってね」 「・・・そんなぁ」 「ほら行きますよ、桃先輩」 「越前・・・」 「さっさと終わらせるんでしょ」 襟首を掴んで、ぐいぐいと引っ張る。海堂もケット悪態をつきながら、その後ろをついていった。 廊下に佇む不二は、ただ笑顔で三人を見守っていた。 その瞳が鈍く光っていたのを、三人は知る由もなかった。 「・・・失礼しまーす」 カラカラと扉を引くと、何の変哲もない夜の教室がある。三人が三人とも懐中電灯をつけ、それぞれの方向を照らし出した。 「結構明るいな」 「カーテン開いてますからね」 防犯の関係上、カーテンを開けてから帰るのが規則になっている。夜中とはいえまだ町は起きている時間だからか、教室は懐中電灯なしでも輪郭がつかめるくらいには明るかった。 「どーせまた、誰かが隠れてるんじゃないスか」 「おい越前・・・」 リョーマが懐中電灯で机の下を照らしてみたが、特に人影はなかった。 「こっちもだ」 ついで海堂が教卓の下を照らしてみるが、やはりそこにも人影はない。ベランダの外もまた同様だった。 「誰もいねーな・・・」 「そのうち向こうから出てきますよ。それまで待ちません?」 冷静に、リョーマはぴょんっと机に飛び乗った。仮にも肝だめしで、こんなに落ち着いていていいのだろうか。 「お前ってホント可愛くねーな・・・」 「俺が可愛かったら、桃先輩惚れてくれます?」 そんな二人を尻目に、海堂はハア、とため息をついた。とにかく早く帰りたい、そんなことをつらつらと考えていたのだが。 は、とリョーマが腰掛けていた机に目が留まる。 「・・・おい、越前!」 え?とリョーマと桃城の二人が振り返った。 「その机に座るんじゃねえ、降りろ」 「なんでっスか?」 「よく見ろ」 海堂は黙って、リョーマの座る机を照らした。居心地悪そうに、リョーマがとんと机から降りる。ところが。 暗闇に浮かぶ上がった机の表面を見て、二人は目を見開いた。 机には、べっとりと赤い手形がついていた。 「うげ・・・」 言葉にならずに、桃城は口を押さえた。 「何だよこれ・・・」 「え絵の具に決まってるっスよ、こんなの」 ぷい、と顔を逸らし、リョーマが大きな声で言った。しかしその声はやや上ずっている。 「どーせ先輩たちが脅かそうと思って仕掛けたんスよ」 こんなもので怖がってたまるか、と。リョーマは強い調子で顔を振った。しかし、桃城と海堂からの返事はない。 「どーしたんスか、先輩!」 「この席・・・」 「え?」 そこで初めて、リョーマは二人の顔が幾分か青ざめているのに気がついた。 口を押さえたままで、桃城がぽつりと呟いた。 「この席・・・」 桃城が照らし出した、そこには。これ見よがしに、花瓶が置かれていた。 ざっと冷や汗が流れる。 「偶然でしょ、そんなの!」 どかどかと乱暴な足取りで、リョーマは教卓のほうへ向かった。 「座席表見れば、そこが誰の席か分かるでしょ!」 教卓の上に置かれた座席表を乱暴にめくる。ところが、リョーマの顔はそこで凍りついた。 「え、越前・・・?」 「名前が、ない・・・」 「なに?!」 「そこの、そこの席だけ、名前が空白になってる・・・」 シン、と三人が静まり返った。 「誰・・・誰がそこにいるの?」 桃城も、海堂も、おそるおそる教壇に上がった。 「あそこ・・・集合写真がはってある」 三人の懐中電灯が、一つのクラス写真を照らし出した。 入学式の後だろうか、一年八組と書かれた生徒全員が並んで写った写真が貼ってある。 「おい・・・この写真・・・」 桃城が、震える指で写真を指差した。 「なんで、俺が写ってるんだよ・・・?!」 「・・・っ!」 写真の中に並んで、今より幾分幼い桃城の顔が写っていた。 「俺もだ・・・」 「マムシも?!」 「この写真、今年度の日付っスよ・・・?!」 「ちょっと待てよ、なんで俺たちが・・・」 ガタン。 びくり、と三人が背後を振り返った。しかしそこには、誰の姿もない。 「あ・・・」 しかし、リョーマは見てしまった。 驚いて振り返った拍子に、見なくてもいいものを。 黒板の真ん中に、小さく書かれた文字を。 呪ってやる。 「ひ・・・」 そのとき。 ドンドンドン! 「うわあっ!」 ドンドンドン、ドンドンドン!と、激しく扉を叩く音がする。 教室の後ろの掃除用具入れだ。 「開けてくれ、出してくれ・・・」 ドンドンドン!ドンドンドン!と。 中から必死に、助けてくれと扉を叩く音がする。 「も・・・桃先輩・・・」 「開けて・・・出して・・・」 ドンドンドン ドンドンドン! 音は次第に激しくなっていく。掃除用具入れが、衝撃で揺れ始めた。 扉が、少しずつ開いてゆく。 いじめられて自殺した生徒の霊が・・・ 掃除用具入れから、にょきっと腕が飛び出した。 「うわああ―――っっっ!!!」 ところが、あまりに激しく叩きすぎたのか。掃除用具入れが、扉ごとぐらりと傾いた。 「うぎゃあ!・・・って、え?」 「あああ〜っ!」 珍妙な悲鳴と共に、バタンっと激しい音を立てて掃除用具入れが倒れた。 中の人物が暴れて、ロッカーごとうごうごと動いている。 「・・・・・」 まもなくロッカーから悲鳴が聞こえ始めた。 「あいたた・・・あれ、起きない!開かない〜!」 「・・・・・・」 「ちょ、桃、海堂、助けてくれ〜!」 三人は無言のまま顔を見合わせた。 「・・・・次行くか」 「ああ」 「っス」 「ま、待ってくれ〜、起こして〜!!」 三人はしぶしぶ近づき、掃除用具入れをひっくり返した。横になった扉が開き、中から腰をさすりながら大石が出てくる。 「あいたたた・・・いや参ったな。脅かす側が助けられちゃうなんて」 爽やかな笑顔で、大石が振り返ったのだが。 「あれ・・・?」 すでにそこに、三人の姿はなかった。 「・・・まったく、大石先輩じゃなかったら見捨ててましたよ!」 ドカドカと、歩調も荒く三人が歩き出す。その後を笑顔の不二がひょこひょことついてきた。 「でも三人とも本気で怖がってたじゃない。外まで悲鳴が聞こえてきたよ?」 「あーもう!大体手が込みすぎなんすよ!机に血のりを塗るわ俺の写真まで用意するわ!」 「よく見たらあれ、桃先輩の顔写真を上から貼り付けただけでしたしね・・・」 「そうなんだよ!まったく、誰のアイディアなんすかあれは!」 「その区域担当の奴がやるからね。一年八組については、企画演出すべて大石」 どっと三人の疲れが増した。 今回は本気でビビらされてしまったために、恥ずかしさも合わさってますます疲れが増す。 「黒板の落書きとか・・・かなり本気にしましたよね」 「・・・ケッ」 「分かってんのになあ・・・ついビビらされちまうんだよ」 はあ、と桃城が肩を落とした。 「案外黒いなあ・・・副部長も」 不二がきょとんとし、首をかしげた。 「それは違うよ?」 「え?」 「副部長は、海堂でしょ?」 三人ともが、驚いたように黙り込んだ。 「三年は先週で引退したんだから。今は桃城部長と」 くい、と桃城を指差す。 そのしぐさに、桃城がグッと息を呑んだ。 「そして、海堂副部長だよね?」 海堂もまた、意表をつかれたように黙ってしまった。 「まだ部員のつもりでいるなら改めてもらわないとね。勿論エースの越前くんも。テニス部はもう、君たちのものなんだから」 黙り込んだ三人を他所に、不二はとっとっと先を歩き始めた。 その笑顔が、くるりと振り返る。 「さあ、行くよ。三つ目の不思議にむけて」 不思議な静寂だった。 恐怖とかそんなものではなく。 八月の終わり。 不意に降りた沈黙の中で、三人は先を行く不二について歩き始めた。 ただ一人懐中電灯を持たぬ不二の背中が、三人のライトに照らされて光った。 ちょっとシリアスモードで次回に続く。 BACK |