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それは、八月も終わりに近づいたある日のことだった。 ツクツクボーシの鳴き声が響く夕暮れ。 越前リョーマは帰り際、下駄箱に一通の手紙が入っていることに気が付いた。 ラブレターとは明らかに様子の異なる、差出人のない白い封筒。 中の便箋には、こう記されていた。 拝啓 越前リョーマ様 あなたを青学七不思議探検ツアーにご招待いたします。 今夜八時、正門までお越しください。なお飲食物の持ち込みは禁止となっております。 あなたのお越しを心よりお待ちしております。 敬具 何のことだ。 越前は、すぐにこれを丸めてゴミ箱に捨てようとした。付け足しのように書かれていた、手紙の最後の一文を読むまでは。 尚、来なかったらグラウンド100周。 そして、その日の午後八時。 すっかり日が落ちて暗くなった中で、リョーマは正門までやってきた。するとそこで、見慣れた顔を見つけてしまった。 「も、桃先輩っ・・・?」 「あ、越前じゃねえか!お前のとこにも来てたのかよ、あの手紙」 桃城も呼び出されていたのだ。自分と同じく制服姿のまま、正門の前にたたずんでいた。と言うことは、とリョーマが頭を巡らせようとした。 すると桃城が露骨に嫌そうな顔で、肩越しに背後を指差した。 「・・・それが、マムシの野郎もいやがんだよ」 「なんか文句あんのかコラ」 低い地を這うような声が響き渡る。そこにもやはり夏服姿の海堂が、不機嫌そうに門柱にもたれかかっていた。 「三人が呼びつけられたんすか」 「そうらしいな。ほら、これ見ろよ」 桃城の指差す先には、一枚の紙がはってあった。 青学七不思議体験ツアーにようこそ。 御三方にはこれより、七不思議を順番に巡回していただきます。 まずは一つ目の不思議、『体育館のバスケ部の霊』へとお進みください。 「・・・俺、帰りたいんスけど」 「同感だがな、よく見ろ」 尚、勝手に帰ったら乾汁ジョッキ。 ありえねえ、そんな呟きを流しつつ、三人は渋々ながら体育館へと足を勧めたのである。 夜の学校というのは、昼間とはまったく違った顔を見せるものだ。 生徒がいない静かな校舎。暗い廊下を、非常灯の赤いランプだけが煌々と点いている。意識すまいとすればするほど、そこは不気味以外の何物でもない場所なのだ。 しかし、この面々は少し様子が違っていた。 「おい、離れろよマムシ」 「・・・何がだ」 「お前距離近すぎなんだよ!なんだ、まさかビビッてんのか?」 「バッ・・・んなわけねーだろが!やんのかコラッ!!」 こうして、寄ると触るとすぐ喧嘩になってしまうのである。 「・・・別にいいけど、いー加減にしてくれない?」 欠伸交じりのリョーマが、やる気なさげに後をとぼとぼと付いてきていた。そもそも、二人の喧嘩を止めようなどという考えはサッパリないのだ。 しかし、それでも疑問はわく。 前を歩く桃城の背中を、リョーマはとんとんと叩いてみた。 「お、どうした越前」 「桃先輩、七不思議ってそもそも何なんスか?」 ああ、と桃城は頷いた。仮にもリョーマが帰国子女だということを、時折忘れそうになる。 「学校の七不思議っていうのはだな、その学校のいわゆる怪談を七つ集めてそう呼ぶんだ。どこそこに幽霊が出るとか、音楽室のピアノが勝手に鳴るとかいうのが定番だな」 「幽霊?」 学校にそんなにゴーストスポットがあるなど、信じられない。 リョーマの顔色を読み取った桃城は、いやいやと首を振った。 「あくまで噂だよ、噂。完全な作り話が多分ほとんどだ。怖がらせるためだけに存在するんだと思うぜ」 「じゃ、青学の七不思議って何と何と何なんです?」 「う」 眉間に皺を寄せて、桃城は指を折り始めた。 「待てよ、俺もいまいち記憶が・・・たしかあれと、あれと・・・」 「・・・おい、着いたぞ」 二人の会話を遮るように、海堂の低い声が差し込まれた。 佇む三人の目の前に、どどんと大きく体育館の建物が聳え立っている。 扉を押すと、キイと音を立てて開いた。 「鍵は、かかってないみたいだな」 「っスね」 三人はゆっくりと、埃臭い体育館の中に入り込んだ。 ギシギシと、床が音を立てる。 「いかにも出そうだな、おい」 「・・・ねえ、桃先輩」 「お?」 「あの紙に書いてあった『体育館のバスケ部の霊』って、一体何なんスか?」 一つ目の不思議。 夜中の体育館で、死んだバスケ部員の霊が練習をしている。 「・・・なんでも事故死したバスケ部員が血みどろでバスケやってるとか、たしかそういう話だったな」 うーん、と口元に手を当てて、桃城が唸る。いかにも怪談らしい馬鹿馬鹿しい話にリョーマは少し拍子抜けしたが、時期に現実に引き戻された。 体育館の、広いフロアに着いたからである。 「・・・うーわ」 ワックスのかけられた床が、ぴかぴかと光っている。 暗い体育館だったが、カーテンの開いている窓があることによって完全なる暗闇ではなかった。この夜中に散々歩き回った三人も、とっくに目が慣れていたのだ。 「おい、見ろよここ。懐中電灯がある」 桃城の言に振り返ると、たしかにそこには赤いもち手の懐中電灯が無造作に置かれていた。 それも、ご丁寧に三つ。 それぞれの手でバラバラに、三人は懐中電灯の電源を入れた。丸い光が体育館の広い床、そして奥のステージやどん帳に差し向けられる。 「良かったなあ海堂、もう怖くねえぞ」 「・・・っ!この野郎っ!!」 また喧嘩を始めた二人のことは放っておいて、リョーマはさっさと体育館のフロアに足を踏み入れた。 広い。三人しかいないあげく、暗闇だから余計に。 いやがおうにも奥行きと、その奥に何かが潜んでいるのではないかという考えが浮かんでしまう。 「あれ・・・?」 フロアの、ちょうど真ん中に。 あるものが置かれているのを見つけて、リョーマは足を止めた。 「おい、越前はどうした?」 「・・・ああ?」 にらみ合っていた三人は、そこにいない一年の姿に首をかしげた。すると、 とん、とん、とん・・・ ぎくり、と桃と海堂は身をすくませた。 とん、とん、とん・・・ それは、ボールを突く音だった。 「桃先輩」 「え、越前・・・?!」 リョーマの手には、バスケットボールがあった。 「何だお前かよ・・・って、お前それ?!」 「フロアの真ん中に置いてあったっス」 「置いてたって、おお、おいっ!」 とんとん、とボールをつきながら、リョーマは軽く走り始めた。 円を描くようにドリブルして行ったかと思えば、今度は両出を交互につき始める。実に手馴れた、華麗な動きだ。 「なんだお前、どうしたんだよ」 「俺、昔バスケやってたんスよ」 桃城と海堂が沈黙するのが分かり、リョーマは内心苦笑を漏らした。 それはあまり彼らしくない、多少弱気な笑みだった。 思えばリョーマは、生まれたときからテニスが身近にある環境で育った。 まだほんの赤ん坊の頃、他の子供たちがさまざまな玩具で遊ぶ中で、リョーマはテニスボールをおもちゃにすることをまず覚えた。ペンを持つより先にラケットを握り、自分で着替えが出来るようになるより先に自宅のコートに立った。 あまりにそれが普通だったので、小さいうちはどこの家庭もこうなのだと思っていたほどだ。テニスは完全に、越前家の日々の生活の一部だった。 あれだけやって上手くならないほうがおかしい、とリョーマは自分で思っている。食事や睡眠と同じくらいに、テニスはリョーマの生活に組み込まれていたのだ。 それを英才教育と呼ぶのかもしれないが、元トッププロであった父親は決してテニスを強制したりスパルタな練習をさせることはなかった。あの父親はいつもタバコを咥えて飄々と笑いながら、リョーマに向かってボールを打ってみせるのみだった。 「小学生のとき、スポーツクラブに誘われたんスよ。違うスポーツもやってみたいかな、と思ってバスケを選んだんです」 あまりにテニスは身近にありすぎたのかもしれない。すでにコーチをつけてスクールにも通っていたリョーマは、学校では違うスポーツを選んだのだ。 しかし、それは長くは続かなかった。 「なんでだよ?」 「相手チームから狙われたんスよ。向こうはバカみたいにデカいから、取り囲んで審判に隠れてファール何度もやられて。俺いつも徹底的にマークされてましたから」 そして、ある大事な一戦で。 自分より遥か背の高い選手たちが、ボールを持ったリョーマを取り囲んだ。その顔にはニヤニヤと厭らしい笑みが浮かんでいた。 しかしリョーマがそんなことでひるむはずもなく、難なく見方にパスを回した。バスケでもリョーマは大きな活躍をしてチームに貢献していたのだ。ところが。 「パス出してもブロックが退かなくて。そしたら二、三人が壁作って、顔と腹に蹴りいれられたんスよ」 負けん気の強いリョーマは、当然そのままでは済まさなかった。しかし、体と体が触れる競技でまだ幼いリョーマは限度を見失った。 「相手チーム全員、その場でぶちのめしたんス。一発で首になりました」 それがバスケをやめたきっかけだった。 それ以後、リョーマはますますテニスにのめりこんでいくようになる。 バスケをやめると言ったとき、あの親父が笑って言ったものだ。 『そりゃお前、俺の息子がテニス以外にハマるわけねえだろ』 「・・・思い出したら、ムカついてきた」 リョーマの顔が、きっと歪んだ。 段々とゴールのリングが近づいてくる。そのままドリブルシュートの体勢に入った。 シュッと空気を切る音がする。リングに触れることなく、ボールはあっさりとゴールした。 「ふう・・・」 リングを潜り抜けたボールが、ころころと足元に転がってくる。 「ん?」 また一個、バスケットボールが転がってきた。 「桃先輩、ボール投げました?」 「ああ?俺はずっとここにいるぞ」 「え?」 ころころと、また一個ボールが転がってきた。リョーマのほうに向かって、更にまた一個。 二個、三個、四個。 「・・・何、これ」 次から次へと、無数のボールが現れる。 「桃先輩」 振り返ったリョーマは、桃城と目を合わせてあっと驚いた。桃城は顔面蒼白になり、リョーマの背後を指差している。 「なに・・・?」 リョーマの背後には、用具をしまう器具庫があった。そこから次々と、バスケットボールが転がり出ているのだ。 「なんで・・・」 そのとき、リョーマは見てしまった。少し離れていた桃城や海堂にも、それは見えただろう。 器具庫の扉の隙間から、ボールを送りだす白い手が伸びていた。 「う、うわああああああっっ!!」 三人は脱兎のごとく逃げようとした。 すると、その背後からブッと吹き出す声が届いた。 「・・・くくっ、あははははっ!」 幽霊の笑い声にしては、いやに明るい。あげく、妙に聞き覚えがある。 振り返った三人は、その姿を見てがっくりと肩を落とした。 「・・・何やってんスか、英二先輩」 「やっほー、桃、おチビ、海堂。驚いたー?」 「菊丸先輩・・・」 「へへー、俺脅かし役だから!」 に、とブイサインをされる。 「お、脅かし役ぅ?」 そうだよーん、と菊丸は軽やかに手を振った。三人分の悲鳴が聞けたのが、よほど嬉しかったらしい。 「これから先、行く先々で脅かし役が待ってるから。覚悟しとけよー」 「菊丸先輩」 「ほい、なんだ」 「帰ってもいいスか」 「却下」 ぶーっと胸の腕でバツを作り、菊丸は首を振った。がっくりと三人がうなだれる。 「これから七不思議を順番に回ってもらいます。勝手に帰ったらマジで乾汁だぞ」 はあ、と三人が三人ともため息をつく。 こうなったらとにかくさっさと終わらせて帰ろう。三人の腹は決まった。 「・・・あの、英二先輩。七不思議を順番にっつっても、俺全部覚えてるか自信ないんスけど」 遠慮がちに手を上げた桃城に、菊丸は大きな瞳をパチパチと瞬かせた。 入学したばかりのリョーマが正確な七不思議を知るはずもなく、また海堂がそんなことに詳しいとも思えない。無言でメッセージを出す三人に、菊丸は事も無げに頷いた。 「ダイジョブ、そんなこともあろうかと、これから先は案内役がつくから」 「案内役?なんすかそれ」 「ほらほらいいから、さっさと次の不思議に行けって。今夜中に終わらねーぞ!」 「いや、でも」 「いいから、ほら行け!」 菊丸は強引に三人をフロアから押し出した。押されるままに出てしまった三人が、顔を見合わせる。 「ほんじゃ、まったねー」 ピシャリ、とドアが閉められた。あとはうんともすんとも言わない。 「・・・納得いかないけどよ、こりゃ全部回らないと返してもらえねえんだな」 はあ、と重いため息をつく。 こんなときばかり三人の呼吸は合っていた。 「仕方ねえ。さっさと終わらせるためにも、次行こうぜ」 こうして、珍妙な七不思議ツアーが始まったのである。 案内役とは誰なのか。 次回に続く。 BACK |