Summer Blue  3

ずっと、忘れない、色あせない、この想い


 限りある時の中で、君との出会いは意味のなかったことじゃない。
 君を愛したことは、間違いじゃない。
 君がこの世に生きたことは、幻じゃない。
 限りある時の中で、君を愛したことは意味のなかったことじゃない。





 テレビの前に二人の青年が座っている。
 一人はその手に写真たてを抱いて。もう一人は床に手をついて、身を乗り出して。
 テレビの中には、一人の青年がアップで映し出されていた。緑のコートに立つ彼は、多少息を乱しながらも、その眼鏡の下には強い闘志を灯している。
『さあ、日本テニス界の天才、手塚国光選手。怪我のために苦汁を飲んだ前回大会から一年、今確実に世界の頂点へ近づいています』
 熱の入った解説の声に煽られるように二人の手にも力がこもる。お互い一言も発せずに、テレビの中の親友を見守っていた。
 扇風機の回る音と共に髪の毛が揺れる。じっとりと汗が滲むのも気にならない。
 手塚は相手の打球を力強く返している。ボールが弾むたびに、見ているこっちの鼓動が早くなった。
 そして、
『アウト!ゲーム6−4!!ウォンバイ!!ジャパン、クニミツテヅカ!!』
『ついに決まりました!!手塚国光選手!!優勝!!優勝です!!』
「よっしゃーー!!!」
「手塚ぁ!!」
 それまでの緊張の糸が一気に切れ、二人、菊丸と不二は同時に叫びだす。お互いにハイタッチを交わし、用意していた缶ビールの蓋を開けて乾杯をする。
 テレビの中の手塚は、大空に向かって腕を突き上げていた。
「すっげー!!ついにやりやがった!!」
「うん。手塚ならって思ってたけど、本当にやっちゃうとはね」
 菊丸はグラスにビールを注ぎ、写真立ての前に置く。一人だけ時を止めた大石は、以前の姿のまま微笑んでいた。
 あれから。
 大石がいない夏が何度か過ぎた。菊丸は福祉施設に就職し、不二は大学院へと進学。手塚はプロテニスプレイヤーの道を選び、世界ランカーにまで登りつめて活躍している。そうして今、手塚は世界の頂点に立った。
 ベンチの手塚に取材人が駆け寄る。いつも無口で取材陣を困らせる彼だが、さすがに今日は興奮気味で、インタビューに答えていた。
『手塚選手、おめでとうございます』
『ありがとうございます』
『昨年は怪我に泣いたわけですが、今回は見事優勝。日本人初めての快挙を成し遂げた、今の感想は?』
『やっと……やっと約束が果たせました』
『え?』
 手塚が眼鏡を取る。そして、首にかけたタオルで目を押さえた。向けられたマイクは、確かに彼の嗚咽を拾い取る。
「手塚…」
 普段の彼からは考えられない状況に、レポーターの女性は言葉をなくしていた。優勝の喜びに泣いているのではない。もちろんそれもあるのだろうが、この優勝はただ世界の頂点に立つと言う以上の意味が、彼にはあった。
『菊丸、不二……やっと、大石に見える場所に立てた』
『手塚選手?』
『すいません、失礼します』
 赤くなった目を隠すように俯き、眼鏡をかけると、手塚は足早に選手控え室の方へと進む。取材人は慌てて追いかけようとしたが、すでにカメラには手塚の背中しか映し出せなかった。
 菊丸は、無言で缶ビールを一口口に運んだ。
「大石。見てるよ」
 きっと、そんな場所に立たなくても、彼はずっと手塚を見守っていただろう。あの優しい笑みを浮かべて。
 彼等は親友だったから。
 ちょっと妬けてしまう。
「僕も負けてられないね」
 不二が少し悔しそうに呟く。プロという世界を選ばなかったものの、彼は大学でもテニスを続け、大会にも参加していた。
 菊丸は自分の足を見た。もう、テニスをしなくなってどれくらい経っただろう。テニスを続けていても、彼らのようにプロになれたとは思わないが、大石の分までテニスが出来たかもしれないとは、今でも思っている。
 けれど大石なら笑って言うだろう。
『テニスができなくても、テニスの楽しさを教えることは出来るだろう?』
 そういう奴だった。
「大好きだよ」
 彼がいたことは過去でも。この気持ちはずっと続いている。
「英二…」
「俺も、負けてらんない」
 写真たてを抱きしめる。
 カチリと、指輪が当たった。
 涙が溢れるけれど、多分悲しいからじゃない。それは、わかっているから。
 君との出会いが意味のないことじゃないことを。





 カセットテープには生前(ああ、なんて嫌な言葉だろう)の彼の肉声が録音されていた。まだはきはきとしゃべる声の具合から、結構前に録られていたものだろう。
 それは、遺言だった。





『やあ、これを聞いているってことは、俺は…死んだってことだよね。みんな、泣いてるのかな?ちょっと複雑な気分だな。泣いててくれたら正直嬉しいけど、凄い罪悪感を感じる。でも、手塚が泣くところなんて想像つかないから、きっと手塚は泣いてないだろうな。
 こんなの、死ぬことを前提として録るわけだから、英二は怒るかもしれない。でも、わかってほしい。本当に死を目の前にしたら……こうやって冷静に言葉を残せないと思うから。

 なんか、一人でこうやって話すのも恥ずかしいね。字で残しておけば良かった。

 手塚。今までありがとう。一緒にインターハイに行こうって約束、果たせなくてごめんな。お前は最高の友達で、俺が一番尊敬する奴だよ。みんなお前を天才だって言うけど、それはお前にとって侮辱だよな。お前が強いのは、お前がそれだけの努力をしているからだって俺は思ってる。天才なんて言葉で片付けちゃいけないよ。なあ、手塚。こんなの、俺が言うのもなんだけど……世界を目指してみないか?俺は知ってるよ?手塚がプロの誘いを受けていること。お前なら頂点に立てる。っていうか、立ってくれ。でないと、俺が天国から見れないだろ。一番高い所に立ってくれ。約束な。

 不二。短い間だったけど、ありがとう。見舞いとか、わざわざ英二とずらして来てただろう?気を使わせちゃったかな。海での写真を持ってきてくれた時、凄く嬉しかった。また行けたら良かったんだけどな。写真を見るたびに、あの夏の日が甦ってくるよ。不二と初めて会ったのもあの日だったよな。もっとずっと前に会えてたらって、今更ながら思う。一度くらい手合わせしたかったな。英二と手塚をよろしく頼むよ。

 英二。……どうしよう。あは…やだな、泣きたくないのに。英二、ありがとう。本当にそれしか言えない。ありがとう。ありがとう……っ…毎日、見舞いに来てくれて…励ましてくれて…。それだけじゃない……初めて会ったときからずっと…俺は、英二に……色々なものを貰った。それが返せないのが…悔しいっ…。なあ…あの時英二……俺が頑張ってるから、苦しくなって、手首切るって言っただろ?違うよ?……頑張っていたのは事実。頑張るのに疲れたのも事実。でも……本当はただ…死にたかったんだ。俺の存在ってなんだろうって。生きてたって意味なくて。テニスもできなくて。そんな時、英二に会えた……知ってる?俺の恋はあの時から始まっていたんだよ?英二がね…英二が思ってる以上に俺は英二のことが好きだよ………ごめんね…最期まで言わないつもりだったのに。ねえ、英二…君が好きだよ。大好き。止まらないくらい好き。こんな、最期に卑怯だってわかってる。でも…好きなんだ。
 英二。多分ね、英二のためにも、俺が言わなきゃいけないのは『俺を忘れて』の一言なんだ。その方が英二は幸せになれるから。君の幸せを誰よりも願っているよ。いつだって、君を見守っている。でもっ……お願い……俺を…忘れないで。俺が英二を愛したことを、忘れないで』





 反則だと思う。
 あれだけ言わなかった「好き」を、君がいなくなってからこんなにも聞くなんて。
 悲しいのに、嬉しくて。
 君を忘れたくないから、生きていたくて。
 空にも風にも感じる君の気配を、いつまでも感じていたくて。
 だから結局、追いかけることが出来なかった。





 人間の存在なんて曖昧で、いつだって触れていないとその存在を確かめられない。触れていたっていつだって不安になる。
 だから、形なんて本当は問題じゃないんだろうね。
 目を閉じればほら、こんなにも君を感じることが出来る。
 生きることは、出会いと別れの繰り返し。
 限りある時の中で、六十億以上の人間の中で君に会えた奇跡。
 君との出会いは意味のなかったことじゃない。
 君を愛したことは意味のなかったことじゃない。
 時々寂しくなるけれど、そんなときは空を見上げる。
 青い空は、何故か君の笑顔を思い出させてくれるから。
 笑っていてね。
 見守っていてね。
 俺が強く生きていけるように。
 君の分まで、世界を見て生きるから。
 いつかまた出会う時、胸を張って出会えるように。
 愛しているよ。
 ずっと。











ぽぽさんから頂きました、「Summer Blue」でした。
初めて読ませていただいたときには、もう、パソコンの前でえぐえぐしゃくりあげながら泣いてました…。
たったひと夏だけの恋。けれどそれは、彼らの中に一生消えない光となった。 大石と英二、見守る手塚と不二、それぞれの想いに胸がいっぱいになって、こうして読み返しても涙が出ます。
ラスト、生きていこうとする英二の姿が、本当に切なくて美しい。

ぽぽさん、本当に本当に、ありがとうございました。




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