Dear 未来の僕らへ








 意味もなく見上げた夜空に、星はない。ただぽっかりと丸い月が浮かんでいるだけの、面白みもない夜空だ。
 だいぶ人通りが少なくなった道を歩くのは、嫌いじゃない。静寂の中、自分の足音だけが聞こえてくる。
 行き先は決めていない。けれど、誰かに会いに行くにもみんなそれぞれ都合があることを考えれば、自分の勝手で押しかけることはしたくなかった。そうなると、自然に行き先は決まってくる。そこへ行けば、いつだっている人物。もっとも、こんな時間では迷惑かもしれないが。
 青年は躊躇いながらもその店の前で足を止めた。明りはついているが、もう暖簾は仕舞われてしまっている。営業時間は終了したようだ。
 このまま帰ってしまおうかとも思った。
 けれど。
 左手で扉を開ける。ガラガラと音を立てて開いた扉の向こうには、変わっていない店の風景が見えた。この店の座敷の畳の色や、カウンターのイスの座布団の色まで、鮮明に覚えている。さすがに畳や座布団は買いかえられていたが、店そのものの作りはそのままだった。
「すいません、もう閉店なんですよ」
 カウンターの中から、懐かしい声が聞こえてきた。昔のようにどことなく気弱そうな、それでも昔よりもしっかりとした声。見れば声の主は忙しそうにカウンターの中を動き回っている。白い寿司職人の格好が、眩しかった。
「河村…」
 青年は、依然と同じように彼の名前を呼んだ。他の同級生が「タカさん」と愛称で呼ぶ中、一人だけそう呼んでいたのだ。
 河村と呼ばれた若い料理人は作業の手を止めて、慌てて入り口の方へ振り返った。
「手塚…手塚じゃないか!!」
「久しぶりだな」
「いつ帰ってきたんだよ!ほら、そんなところに立ってないで座って座って」
「いいのか?もう閉店したのでは…」
「気にすんなよ、そんなの。級友が尋ねてきてくれたのに、何も出さないなんてできるわけないって!!親父に殺されちゃうよ」
 カウンターに促してくる河村の嬉しそうな顔を見て、どことなく手塚はほっとした。彼はちゃんと、自分を見てくれた。元テニスプレーヤーとしての自分ではなく、ただの彼の級友である自分を。
 手塚国光。
 その名前はテニスをしている者なら、誰もが尊敬してやまない名前だ。中学生の時から、他のプレーヤーとは一線を越えており、その頃からプロとしての活躍も期待されていた。事実彼は目覚しい記録を作り、誰もがそうと予想していたようにプロになり、世界へ進出し、そして活躍した。日本人の快挙にマスコミはこぞって取り上げ、テニスが流行になった時期もある。この時期は、手塚だけでなく彼とと同世代のプレーヤーの活躍が目覚しかったのだ。彼らがいなければ、日本のテニス界は後十年は後れていただろうと言われるくらいに。
 そんなテニス界の第一線で戦っていた手塚が引退を表明したのは、本当に突然だった。理由は、古傷の悪化。まだプレーヤーとしてはこれからの時期であり、惜しむ声は小さくはなかった。彼の後輩であり、同じように第一線で戦っている越前リョーマは「勝ち逃げなんてずるい」と言っていたが、彼の決意が揺るぐことはなかった。
 早々にそれまでテニスに専念するために一人暮らしをしていた部屋を引き払い、実家へと戻ってきたのは今朝のことだ。父親も母親も何も言わず、ただ「お疲れ様」とだけ声をかけてきた。数年ぶりに戻ってきた部屋は、出て行ったときのままで他人の部屋のようだった。この部屋でテニスに明け暮れていた少年は、こうやってテニスから離れる日のことを予想だにしなかっただろう。
 勉強机の上は綺麗に片付いており、写真立て以外に何もなかった。スチールのフレームの、シンプルな写真立てを見ていると、何故だか無性に会いたくなった。
 晴れ渡った空をバックに、青と白を基調としたジャージを着て、それぞれがラケットを持って笑っている。
 そんな写真の中の、彼らに。
「もう残り物しかないけどいいかな?」
「いや、気にしないでくれ。もう営業時間は…」
「だから、それは気にするなって。飲み物は?ビールでいい?」
「……ああ」
 目の前にグラスとビール瓶が置かれる。手酌で悪いねと言いながら、河村はすでに残り物でちらし寿司を作っているようだった。
 冷えたビールをグラスに注ぐ。久々に飲むアルコールは、やはり少し苦かった。
 中学生の時、この席に制服を着て座っていたというのに、河村の父親にビールを勧められたのを思い出す。歳相応に見られないことは多々あったから気にしてはいないが、今こうやってそのビールを飲んでいるのは不思議な感覚だった。
 大会が終わるごとに、この店にはお世話になった。大金を持っているはずがない中学生が、こんなすし屋で打ち上げをしていたなんて、今思えばなんて贅沢だったのだろう。
 そう、あの頃は何も知らなかった。世界は大きくて綺麗なものだったし、毎日テニスに勤しんで、それがずっと続くと思っていた。昨日と違う明日が来るなんて、考えたりしなかった。
 夜空に浮かぶ月だって、あんなに味気のないものではなかった。
「お待たせ。残ったネタをあり合わせて作ったんだけど」
 ぼんやりとした手塚の前に出されたのは、一人前のちらし寿司。残ったネタといっても、ふんだんに使ってあり逆に普段食べているものよりも豪華に見えた。豪快なネタの配置に、彼のテニススタイルを思い出す。
 あの力強いテニスは、見ていて爽快だった。小細工も何もない、ただまっすぐに打ち返すその姿が、本当のテニスであるように思えるくらいに。
「じゃあ遠慮なくいただくぞ」
「ああ。そうだ、手塚は日本酒とかいける口?いい奴があるんだけど、飲まないか?」
「酒はあまり得意ではないが…折角だ」
 手塚が応えるが早いか、河村はすぐにとっくりを温めた。
「……じゃあ、遅くなったけど乾杯ってことで」
「乾杯」
 カチン。
 可愛らしい音を立てて、お猪口が触れ合う。一口口に含むと、日本酒独特の香りが広がった。お酒が得意ではないというのは本当だが、やはりビールよりは日本酒の方が飲める。飲むとすぐに体が熱くなるのがいい。
「美味いな」
「だろ。これは特別。普通のお客さんには出さないんだ。だからお品書きにもない」
「そうなのか」
「ああ」
 河村はすぐに一杯飲み干した。手塚が二杯目をととっくりを持つと、ありがとうとお猪口を差し出してくる。河村の飲むペースは速い。手塚がちびちびと一杯目を飲み干す頃には、河村は四杯目を飲んでいた。
「…みんな、元気か?」
 二杯目に口をつけながら、手塚が尋ねる。少し顔が熱くなっている自分とは違って、河村は全く顔色を変えていない。きっとお客に進められることも多いから、ある程度慣れているのだろう。
「みんな…うん。元気だよ」
「そうか」
「……最近来たのは大石と英二かな。そう…手塚の引退が報道された日」
「ああ…」
 スポンサーに無理やりやらされた記者会見。別に日本国民に自分の引退する理由なんて、聞いて欲しいとは思わなかったし、言いたくもなかった。テニスを続けていたのは自分のためであり、日本国民のためではない。応援してくれたのは感謝しているが、応援されなくても自分は自分のテニスをしていた。
 マスコミは古傷がどうの、後輩である越前に一言だの、今まで応援してくれたファンに一言だの、今後の予定だのを聞いてくる。一体それを知ってどうするというのだ。何の役に立つと言うのだ。
「大石とか、自分のことみたいに残念がってたな」
「変わってないな」
 二杯目が空くと、すぐに河村が三杯目を注いでくる。だいぶ酔いが回ってきたのか、体は熱いままペースだけが速くなる。
「そうだね、みんな変わったようで変わってないのかも。大石と英二のやり取りなんて、昔と一緒。桃と海堂は未だに喧嘩するわ、乾は未だに変な汁作るわ、不二はわさび寿司が好物だわ」
「昔と変わらない…か。少し羨ましいかもしれないな」
「手塚だって、変わってないさ。いつも眉間にしわ寄せてる」
「今は寄っていない」
「寄ってるよ」
 苦笑しながら河村は、別のグラスに水を入れ、手塚の横に置いた。彼と飲むのはこれが初めてで、彼がどれだけ飲めるのかはまったく知らない。ただ、経験から彼がだいぶ酔っていることはわかる。青学の堅物部長が酔ったらどうなるか楽しみな部分がある反面、明日の彼のことを考えるとこれ以上進めるのは躊躇われた。
「手塚は元気なの?」
「俺か?見ての通りだ。閉店後の級友を尋ねて来るくらいの元気はある」
「手塚、酔ってるね」
「酔ってない」
 すっかり酔っ払いと化した手塚に驚きつつ、河村は黙って頷いた。酔っ払いの相手をするのには慣れている。それが級友となれば尚更だ。
 自分のためにお猪口に酒を注ごうとすると、手塚が四杯目とばかりに自分のお猪口を突き出してきた。注がないわけにもいかず、お猪口の半分まで酒を注ぐ。
「これからのことは決まってるのか?」
 先ほどまでチビチビと飲んでいたのが嘘のように、豪快に日本酒を飲み干す手塚に半分不安を抱きながら尋ねる。手塚は少しばかり不機嫌そうに眉を寄せたが、小さく溜息をついてお猪口をカウンターに置いた。
「まだだ。会社は辞めたし、今は完全な無職だな。プーというやつだ」
「お前の口からプーなんて言葉が聞けるとは思わなかったよ」
「事実だから仕方あるまい。まあ、気長にやるさ。賞金はだいぶある。大学に行くのも良し、フリーターになるのも良し…」
 五杯目の日本酒を一気に煽る。
「テニスは?」
 さすがにこれ以上は飲ませるわけにはいかないと、河村はこっそりと徳利を片付ける。手塚は早くも六杯目を注ごうと徳利を探しているようだったが、酔っ払った彼は諦めが早いのか、すぐに興味なさそうにお猪口を置いた。
「テニス…か」
 しみじみと呟いたかと思うと、今度はもうすっかり生ぬるくなってしまったビールへと手を伸ばす。
「…もう俺には関係のないものだ」
 日本酒の後に飲むビールなんて水のようなものだ、と以前常連の客が言っていたが、今の彼がそうかもしれない。確かに、感覚的にはどうしても強いものの後のアルコールは感じにくくなってしまうが、感じなくてもビールはアルコール。水ではない。河村はすぐさまビール瓶を片付けた。
「辞めるんだと、テニスを。今までテニスしかなかった俺が、テニスを辞めるんだ。凄いことだと思わないか?」
「凄いこと…だね、確かに」
「そうだ。凄いことだ。だが、何の意味もないことだ」
 グラスの中のビールを飲み干し、手塚は頬杖をついた。
「そう…今までテニスがあったから全てのことに意味があった。俺の行動の全てが、テニスに結びついていた。テニスが全ての行動の動機付けだった…これからはもうそれがない。だとすると、俺の今までの過去は全て、意味のないことになってしまうのだろうな」
「違うよ」
 それまでおとなしく聞いていた河村が、静かに、しかしきっぱりと手塚を否定する。すでに重たくなって来た瞼を必死に上げ、手塚は目で河村に理由を尋ねた。
「手塚、今お前凄く失礼なことを言ったよ?俺だから許すけど、他のみんなの前では言ったらだめだから」
 水の入ったグラスを手塚に持たせ、飲むように促す。
「過去の全てが意味のないこと?じゃあ、手塚にとって俺や不二や大石は意味のなかった存在?俺たちはさ…テニスだけじゃなかったと思うよ。もちろん、テニスが大部分だったとは思うけど。でも、テニスだけじゃあここまで長く付き合わないって。もっと…うん、深い部分でつながってるって、俺は思いたいな」
「河村、すまん長い」
「だからね、手塚の過去は意味のないことじゃないっていうこと」
 もうほとんど思考回路は働いていないのだろう。手塚はわかったのかわからなかったのかわからない表情で、頷いた。ただ、その表情が若干先ほどよりも明るくなったのを感じたので良しとする。
 彼の視線は河村から逸らされ、河村を通り越して壁へと向けられていた。そこには一枚の古い写真が大事そうに飾ってある。
 晴れ渡った空をバックに、青と白を基調としたジャージを着て、それぞれがラケットを持って笑っている。
 そんな、写真が。
「…楽しかったな、中学時代は」
 グラスを握り締め、手塚が呟く。それまでかけていた眼鏡を外し、カウンターに置いた。出されたおしぼりを手に持ったかと思うと、それを目頭へと押し付ける。
 手塚の引退報道を見た日に、同じように大石がしていた。古傷が引退の理由なら氷帝戦で彼を止めなかった自分のせいだ、なんて言い出したから、隣で菊丸が怒っていた。そんな二人があの夏と全く変わらなくて、愛しかった。
 過ぎてしまった日々を懐かしむほど、今の日々が退屈なわけではない。思い出を作れば振り返るだけだと歌う曲があったが、それは違う。思い出は、いつだって背中を押してくれるためにあるのだ。
 あの夏の思い出を青春と呼ぶならば、自分たちが送った以上の青春なんてないと思う。
「忘れられないんだろ、テニス」
 おしぼりを目頭へ押し付けたまま、無言で手塚は頷いた。
「だって俺が忘れられないから、テニス。俺なんかが忘れられないくらいなんだから、お前がテニス忘れられるはずがないよ」
「もっと…」
「ん?」
「もっと……テニスがしたかった」
 涙でかすれた声は、聞かなかったことにしよう。
 隠した徳利を再び取り出す。自分と彼のお猪口に注ぎ、彼に差し出した。
「今夜は潰れていいよ。今までずっと走りっぱなしだったんだ」
 他のメンバーより一足早く立ち止まった。けれど、彼らと別れたわけではない。いつだって、彼らの背中を見つめていた。時計の針が進むにつれて、足を止める者は多くなる。そんな中、ずっと走っていたのを知ってる。
 知っているんだよ。
 お前がどれだけテニスが好きか。
 お前がどれだけ青学が好きだったか。
 お前がどれだけテニスが好きな奴を好きか。
 無口だから誰も理解してないと思っていたら大違いだ。みんな、お前のそういうところをわかって、ついていったんだ。同じ夢を追いかけたんだ。
 無駄じゃないんだよ。
 懐かしく思うほど、あの時間は無駄じゃなかったんだ。




Dear 未来の僕らへ
 君たちはまだテニスが好きですか?





 暑い、熱い。
 この暑さは、きっと太陽のせいだけじゃない。
 心臓のドキドキが止まらない。ずっと興奮している状態。それが、嫌じゃない。もうくたくたのはずの足だって、止まることを拒否している。
 暑い、熱い。
「書くのは大石ね!一番字、上手いし」
「えー、俺?困ったな」
「部室の壁は公共のものだ。落書きなど…」
「手塚、うるさい。今日くらいはいいじゃないか。きっと学校も許してくれるよ」
 いつもよりもずっと大きな声だって、わざとやっているわけじゃない。この気持ちが、自然と大きくしているのだ。
「誰かに宛てるような感じで書きたいよね。例えば…ほら、次の青学レギュラーへとか」
「タカさん、俺と海堂と越前は次も青学レギュラーっスよ」
「ふん。お前がレギュラー落とさなかったらな」
「なんだと、マムシ!」
「お前、一回レギュラー落ちしただろうが!!」
「先輩たち、うるさいっス」
「桃も海堂も、そろそろ先輩としての意識を持つべきだろうね」
 いつも通りの会話。いつも通りの喧嘩。いつも通りの仲裁。
 それでいい。
 こんな時間が永遠に続くなんて、誰も思ってはいない。思ってはいないといいながら、願ってはいると勝手に思う。
「それで、結局なんて書くんだよ」
 マジックを手して、ずっと言葉を待っている彼をよそに議論は続く。
 続く。
 それはもう、夕焼けが頬を赤く染める頃まで。
 夏が終わる。
 その実感が湧かないのは、この体の熱さのせい。
 安堵や寂しさがないわけではない。それを上回るほどの、この熱。
 どうしようか。
 まだまだまだ、テニスがしたい。
 どこまでいけるのか、試してみたい。
 このままテニスを続ければ、いつもこの熱を覚えていられるのだろうか。
 続け。
 この時が、ずっと続けばいいのに。
「手塚ー、ほら、ここにサインして」
 渡されたマジックを、握り締めた。





Dear 未来の僕らへ
 君たちはまだテニスが好きですか?
 そうであることを祈っています。
 そうでなくても、決して忘れないでください。





 静かな朝、誰もいない部室で彼はそっと壁を撫でた。新しくなったロッカーやテーブル。その影に埋もれるように書かれた、メッセージ。
 指先に、熱が戻ってくるようだった。
「一回目」
 背後で声がし、手塚はゆっくりと振り返った。振り返らなくても声の主が誰であるかはわかったけれど、どうしても顔が見たかった。
「何が一回目なんだ?菊丸」
 部室のドアにもたれるように立っている菊丸は、中学生の頃と全く変わらない悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「ここに手塚が戻ってきたのが。結構みんな戻ってきたんだけど、お前だけ全然戻ってこないでやんの。おチビだって来たのに」
「そうか」
 忘れていた。
 いつの間にか、忘れてしまっていた。この部室でのことも、このコートでのことも、あの夏の日のことも。
 選んだ道は、決して優しいものではない。それを覚悟で進んだし、そのことに後悔はしていない。いつも悔いなく過ごしていたはずなのに、どうしてだろう。同じテニスをしてきていても、段々と熱の冷めていく自分がいた。
 こんなはずじゃなかったのに。
 そう思わなかったと言えば、嘘になる。
 プロとしての時間は、有意義なものでは在った。けれど、それだけではなかった。
「ま、いいや。とにかく、おかえり。歓迎してやるよ、新しい青学テニス部コーチさん」
 ジャージ姿の菊丸が右手を差し出してくる。彼は今、青春学園中等部で体育教師をしているのだ。そして、当たり前のようにテニス部の顧問なんてやっている。そう、当たり前のように、彼はコートに戻ったのだ。そして、自分も。
 当たり前のように。
 本当にどうしようもないと思う。もうテニスなんてしないと、何度も思ったのに。第二の人生を始めようと、いくつもの夜を眠れずに過ごしたのに。
 結局、当たり前のように戻ってきてしまった。
「懐かしいだろ。部室、まだ残ってやんの。まあ、だからソレも残ってるんだけど」
 菊丸はあごで先ほど手塚が触れた辺りの壁を指した。ごつごつとしたコンクリートの上に、当時から綺麗だった大石の字で数行の文が書かれている。そしてその下には、各々の名前。
 あの夏の日のかけら。
「手塚」
「なんだ?」
「テニスは、好き?」
 まっすぐ見つめてくる瞳に、今の自分はどのように映っているだろうか。
 疲れきった引退テニスプレイヤーとして、映るのだけは嫌だな。
 そんなことを思ってふっと笑ってしまう。
 引退とは、一体なんだろう。ただ、プロという世界から身を引けば「テニスプレイヤー」ではないというのだろうか。それは違う。
 テニスが好きである限り、テニスをし続ける限り、一生現役だ。
「俺が、テニスを嫌いになると思うか?」
「まさか」
 楽しそうに笑い、菊丸はドアから離れてコートの方を向いた。整備されたコート。そろそろ現役の青学男子テニス部部員がやってくるだろう。新しいコーチを見たら、きっと驚くだろう。そして今から、十数年前の自分たちと同じように全国を目指すのだろう。そう想像するだけで、胸が熱くなるくらい楽しい。
 立ち止まってはいられないくらいに、楽しい。
「てっづかー!!」
 背後を振り返らず、コートに向かって走る。朝露で少し湿ったコートに寝転がり、まだツンとすましたような蒼穹を見上げる。
 空は綺麗だ。目にしみるくらい、綺麗だ。
「一生青春!ブイッ!!」
 上半身だけ起き上がり、部室の入り口に突っ立っているかつての部長にVサインをしてみせる。中学三年間、彼に向かってVサインなんてしたことがない。今になってできるのは、何故だろう。
 手塚はいきなり走り出て、Vサインをしているかつての仲間を見て、思わず笑ってしまった。中学生の自分であったら、眉をよせて「何をしている」とでも言っただろうか。今になって笑えるのは、何故だろう。
 知らず知らずのうちに自分の左手も、菊丸と同じようにVサインを作ってしまう。菊丸のように前に突き出すことはできなかったが、胸元で小さくやってみせた。
 懐かしい風が吹く。
 ああ、本当にバカみたいだ。
 変わって行く世界。
 変わって行く時間。
 それでも、変わらないものは確かにある。
 楽しかった。そうだろう?ここで過ごした日々は、決して意味のないものではなかっただろう?
 変わらない思い出はいつだって優しく。
 変わっていく仲間たちはいつまでも愛しい。
 この風が、どうか彼らの元にも吹きますように。
 そんなことを真面目に願う自分が、また笑えた。






Dear 未来の僕らへ
 君たちはまだテニスが好きですか?
 そうであることを祈っています。
 そうでなくても、決して忘れないでください。
 僕らが過ごしたこの夏の日々を。
 いつか君が迷うときが来ても、変わらないものはここにあります。
 確かに変わらないものを永遠というなら、ここに永遠はあります。
 君たちはテニスが好きですか?
 僕らはテニスが大好きです。
 
 青学最強レギュラー一同
 部長   手塚国光
 副部長 大石秀一郎
       乾貞治
       河村隆
       菊丸英二
       不二周助
       海堂薫
       桃城武
       越前リョーマ
















ぽぽさんから頂きました、「Dear 未来の僕らへ」でした。
余韻に浸っていらっしゃるところを、失礼いたします。管理人はまたもや、初めて読ませていただいたときから涙がずっと止まらない状態です…。
この爽快感にも似た、言葉にできない感動をどうにか表現しようと、夜明けの写真を背景にしたり頑張ってみたのですがどこまで成功できているかは定かではありません。

彼らが部室の壁に残したメッセージに、胸を突かれました。大人になった手塚の迷い、変わっていく世界と自分。けれど振り返れば確かに続く、あの日から繋がる尊い道筋。
どうか、彼らの未来に優しい風が吹きますように。

ぽぽさん、また泣かされました。本当にありがとうございました。




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