第三幕



夜が更けたころ。
シンと静まりかえった客室の中で、大石は一人机に向かっていた。
どこからかミミズクの鳴き声が聞こえる。森のほうからだろうか。風が出ているのか、木々がざわざわと揺れる音も耳に届いた。
ここが都会ではなく、鬱蒼とした深い森の奥なのだということを思い知らされる。

(・・・静かだな)
時計の秒針の刻む音までが聞こえてきそうなほどの、静寂。
ノートパソコンの画面に向かいながら、大石は温かいコーヒーを一口含んだ。ミズが淹れてくれたものだ。
大石はちらりとテーブルの上に目をやる。先ほどミズが、出来立ての夕食を部屋まで運んでくれたのだ。


『おーいし、お待たせ〜!』
おいしそうな香りを引き連れて、彼女は元気よく部屋に入ってきた。
『コンビーフのサンドイッチに、豆かぼちゃのガーリックスープ。特製オムレツとコールスローサラダと、デザートの焼きりんご!』
ほかほかと湯気の立っている、出来立ての夕食が運ばれる。ピンクや水色の皿にのって、可愛らしくパセリなど添えられたそれは、まるでピクニックのお弁当のような華やかさだった。
オムレツの上にはご丁寧に、ケチャップでチューリップの絵まで描いてある。タマゴ三個は使ってそうな、きれいな木の葉型のオムレツだった。
『ありあわせのものだから、大したもの作れなくてゴメンね』
『そんな、とんでもないよ』
こんな森の奥では、買い物に行くのも一日仕事になるのだろう。お客さまである大石のために作られた、彼女お手製のごちそう。
『ありがとうミズさん、何から何まで』
『ううん。お口に合うといいんデスガ、なんてね』
恐縮する大石にミズはぺろっと舌を出す。笑い合いながら、大石も手伝って二人でテーブルに料理を並べた。
『ありがとう、いただきます』


大石は微笑みながらサンドイッチをはむはむと口に入れ、イスに腰掛けてカチャカチャとキーボードを叩いた。
「お、見つけた・・・」
薄暗い部屋の中で、ぼやぁっとモニタが光っている。
そこには、初老の男性の顔写真が映し出されていた。
「これが、“不二博士”か」

『不二 ――』
この館の、かつての主。ミズを製作した科学者。とある研究室のデータをあさって、ようやく彼の情報までたどり着いた。

「うわ・・・すごいな、こりゃ」
画面に彼の研究録がズラリと並んでいる。あまり表舞台には出ていなかったようだが、有益な研究を数多く遺しているらしい。
「去年亡くなった、ってミズさんが言ってたが・・・亡くなる随分前から学会から姿を消していたみたいだな」
彼の経歴は、途中でプツリと切れていた。
「・・・引退してから、この屋敷に閉じこもって研究してたのかな」
そして、ミズを造りだした。

彼はどういうわけか、既存のどれよりも優れているであろうアンドロイドであるミズのことを公に発表していないようだった。ここにもそんな記述はないし、何よりあれほどのアンドロイドが開発されたとなれば世間は大騒ぎだったはずだろう。何といっても、人間と見分けがつかないのだから。
「俺自身、あんなのSFの世界だと思ってたからなぁ・・・」
ミズは、人間と同じように笑い、喋り、行動する。あまりの人間らしさに大石自身戸惑ってしまったほどだ。
「あれほどの技術があったのに、どうしてこんな森の奥で隠匿してたんだろう・・・」
疑問が、また湧き上がる。
大石はカプリとサンドイッチをついばんだ。
「うまいな・・・」
ふうと息をつく。ミズが作ってくれたサンドイッチは、なるほど旨かった。

料理を作れるロボットというのは、すでに大量に製造され一般家庭にも少しずつだが広がりつつある。家事や子守りを人間の代わりにしてくれるロボットや、ある程度のおしゃべりが楽しめる人工知能を備えたロボットも、一部の金持ちの間ではすでに実用化され普及している状態だ。
しかし、あれほどの完成度の高いロボットは見たことがない。
「こんないわく付きの森の中にこもって、何を考えながら博士は生活してたのかな・・・」
“神隠しの森”。この森が地元の住民からそう呼ばれていることを、故人は知っていたのだろうか。それともそんな森だからこそ、彼はこの森に隠棲することを選んだのか。


『あれは、悪魔の研究だ』

大石の表情が、グッと引き締まる。
あのときは手塚のあまりの迫力に、何も問い返すことが出来ずただ呆然と聞き入ってしまった。

『博士が死んでからも、呪いが消えることはない。その呪いによって、俺たちはこの館に縛られ続けている』

そんなに恐ろしげな語り口ではなかった。すべてを達観したような淡々とした語り方だからこそ、底知れない恐ろしさがあったのだ。

『お前は早く出て行け』

どういう意味だったのだろう。あれ以上尋ねる事は出来なかったが、死んだ不二博士との間に、何か確執があったのか。
いかんせん、ネットで調べられることなどたかが知れている。

「不二さんに聞いてみるかな・・」
不二周助。玄関の広間で一度顔を合わせたきりの、亡き不二博士の一人娘。
若いお嬢さんなのだから、こんな森の中の暮らしはさぞかし退屈なのではないだろうかと思うのだ。それでも父に従って、ここで暮らしているのだろうか。
(手塚との関係も分からないしな・・・)
手塚国光。自分と同い年だというあの青年も、不二との繋がりがあるのかはよく分からない。あの様子では亡き博士のほうと繋がりがあったのかもしれないが。

「分からないことだらけだな・・・」
大石はほっと息をついた。
椅子にかけたジャケットのポケットから、一枚の写真を取り出す。

可愛らしく跳ねた赤毛に、猫のような大きな瞳。満面の笑顔で微笑んでいる、14、5歳の少女の写真。
そしてどういうわけか、この少女と同じ顔をしている、ミズ。

(俺の目的は・・・ただ一つだけだ)
博士のことにしろ不二にしろ手塚にしろ、調べてみなければならない。この森に住んでいる唯一の住人。彼らはおそらく、何か関係しているはずなのだ。この写真の少女と。
大石自身、顔を合わせたこともないこの少女。


昨年この森で失踪した、菊丸英二という少女と。








ホー ホー ・・・
フクロウの鳴き声が遠くで聞こえる。
大石はぼんやりと腕時計を見た。時刻はすでに日付が変わる頃をさしている。
普段の生活ならこの時間帯でも平気で起きているのだが、近くに民家もないこの辺りは明かりひとつない。
だだっ広いうえにわずか四人しかいないこの屋敷も、自分の息遣い以外は物音一つしない静けさだった。

大石は椅子に腰掛けたまま、振り返って奥のベッドを見た。
木目調の少し大きめのベッドには、淡いベージュの上品なベッドカバーがかかっている。
(このまま寝てもいいけど・・・さて、どうするかな)
大石はしばし考え込んだ。


数十分後。
大石は一人、部屋から出ていた。
「本当に静かだな・・・」
あたりはしんと静まり返っている。広い廊下に、コツコツと自分の足音が響く。
ところどころにあるガラスのランプが淡い光を放って、壁に大きな自分の影が出来ている。
廊下は思ったよりも明るかった。
窓から月明かりが漏れていたからである。
「あれ・・・」
足を止めて窓を見ると、風雨はすでにおさまっているようだった。
明日には晴れるだろうか、と少し複雑な気分で考える。

長い廊下。
(あまり進みすぎると戻れなくなるかもな・・・)
広い洋館で迷ってしまっても困る。
そろそろ引き帰そうか、と足を止めたそのとき。


ギシッ。
「・・・っ・・・」


「ん?」
かすかだが、何かの物音と人の声らしきものが聞こえた。
大石はとっさに壁に背をつけて周りを見回す。
「誰かいるのか・・・?」
大石は廊下の突き当たりに向かって、ゆっくり歩いていった。一番端の扉が、わずかに開いて廊下に一筋の光が漏れている。
大石は身を縮め、こっそりと隙間から中を覗き込んだ。


「・・・はぁ、ん・・・・・・」

部屋の奥の天蓋付きのベッドで、折り重なる二つの影。
覆いかぶさる男の背中に、白い手が絡みつく。枕に茶色い髪の毛が散っている――不二のものだ。
ベッドの中にいるのは、手塚と不二だ。

(うわあああっっっ!!)
大石は必死で声を抑え、走ってその場から離れた。勿論気付かれないようにこっそりと。

部屋から遠く離れて、声も聞こえないであろうところまで来てからようやく足を止める。
「はぁ、はぁ、・・・」
よく考えれば分かる話だった。同じ年頃のうら若き男女が一緒に暮らしているということは、そういうことではないか。
手塚は居候と言葉を濁していたが、実は不二の恋人だったのだ。

「はぁ・・・参ったな、まだ心臓がバクバク言ってる」
図らずも出歯亀してしまった、と大石は顔を真っ赤にしてため息をついた。
自分では気付いていないが、ユデダコのようになっている。

「大石」
突然後ろからぽんと肩を叩かれ、大石の心臓は今度こそ破裂するかと思われた。





「・・・ね、今誰かいたんじゃない?」
けだるそうな不二の額にかかる髪の毛を、手塚は優しくかき上げてやった。
「大石だろうな」
ふぅ、と大儀そうに不二は息をついた。その様子に手塚は尋ねる。
「・・・どうするんだ?大石を」
「どうもしないよ」
折り重なっている手塚の背中にきつくしがみつきながら、不二は瞳を閉じた。
「もう昔みたいなことをする必要はないんだ・・・何も見せずに、霧が晴れたら大人しく帰ってもらうまでさ。もっとも・・・晴れたら、だけどね」





「どったの、大石?」
「え、あ。ミ、ミズさんか・・・驚いた・・・」
背後に立っていたのはミズだった。寝巻きだろうか、昼間とは違うすとんとしたワンピースを着て、大石の反応にきょとんとしている。
「い、いやごめん。ちょっと驚きすぎて・・・」
「え、おれそんなにびっくりさせちゃった?」
どっ、どっ、と激しく脈打っている胸を押さえていると、ミズが下から大きな瞳で覗き込んできた。昼間フリルのエプロンをしていた彼女は可愛いという印象だったが、今夜の華奢な体をさらりと包んでいるワンピース姿は少し大人びた雰囲気で、大石の胸の動悸はますます落ち着かなくなっている。
「でも大石ってば、何やってんの?こんな時間に」
不思議そうな顔のミズに、大石はようやく我に返る。
今度は胃が痛くなりそうな気配である。

「実は・・・何となく、眠れなかったんだ」
大石が困ったように笑うと、ミズもくすりと笑った。
大石の言ったことは半分本当だった。パソコンの電源を落とした後、今日はもう休もうと思っていたのに、ミズの顔が脳裏にちらちらと浮かんで落ち着かなかった。自分でも不思議なほどに。

暗い廊下に窓からの月明かりが二人の影を作る。

「・・・そっかぁ。実はおれもなんだ。何でだろ? ちゃんと“スリープ”にしとかないと、頭部機械に負担かかっちゃうのに、何かじっとしてらんなくてさ」
リアルな単語が大石の胸にのしかかった。しかし勿論顔には出さず、窓の外を見て微笑む。
「・・・月が こんなに明るいせいかもな。これなら明日は晴れるかな」
「さぁ、山の天気は変わりやすいかんね。もう2〜3日は我慢しないとかもよ?」
きしし、とミズがいたずらっこのように笑う。
「けど、おれはその方が嬉しいけどねん♪」
「え?」
彼女はくるりと振り返って笑った。
「大石がいると楽しそうだもん」
なんでもない言葉なのに、大石の顔がかぁと熱くなる。

「ねぇ、大石。ちょっと歩かない?」
「・・・ミズさん」
ふわりとワンピースの裾を翻して、とっ、とっ、と軽やかな足取りでミズは歩き出す。大石は慌てて彼女の後を追った。
「見せたいものがあるんだ」
ミズはそういって笑うのだ。



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