第二幕



「アンド、ロイド・・・?」

大石は手塚とミズを交互に見やる。
告げられた言葉は、にわかに信じられるものではなかった。

アンドロイド、それはすなわち、ミズは人間型ロボットということ。

大石はまじまじとミズの顔を見つめた。猫のような大きな瞳が、まっすぐ大石を見返す。
「・・・じょ、冗談だよな?」
しかしミズは、落ち着いた声で否定した。
「大石、おれは人間じゃないんだよ」
「・・・ミズさん!」
尚も信じられないという顔の大石に、手塚の冷徹な声が降った。
「・・・首を触ってみろ。脈がない」

大石は戸惑いながら、おそるおそるミズの頸に触れてみた。
白い頸。
脈どころか、生命のしるしなどひとかけらも感じられない。
触れた手に、何ともいえない冷たい感触が残る。体温すらないのだ。

その外見になんら人間と異なるところはない。
それでも彼女は、たしかに機械仕掛けのロボットなのだ。

あまりに驚いて、言葉も出ない。
「ミズさん・・・」
なんと言っていいのか分からないでいると、ミズは眉を八の字にして困ったように笑った。

「周助さまの親父さん・・・先代のご主人様はね、科学者だったんだ」
「え・・・」
瞳を伏せ、その面影を思い返すようにミズはゆっくりと語り始めた。

「奥様と離婚なさってから、ずっと周助さまとここで二人暮ししてたんだって。ずっとロボット工学を研究してて、それでおれを開発したんだよ。人間と同じくらいの働きが出来るアンドロイドを作るのが夢だったんだって」

「不二さんの、お父さんが君を」
玄関で会った、美貌のうら若き主人を思い出した。
あの不二の父親。前の主人。その彼が、ミズの生みの親ということになる。
はて、不二という名の工学博士はいただろうか――記憶と照らし合わせたが、特に思い当たらなかった。
ミズは少し困ったように笑ってみせた。
「うん。去年亡くなっちゃったけど、すごい博士だったみたい。この森でずっと、世間から離れて暮らしてた、って・・・」

不意に、ミズの顔が辛そうにゆがんだ。
大石もおや、と気付く。
「ミズさん?」
ミズは何かに耐えるかのように、無言でぎゅっと白いエプロンを握り締めていた。
顔を真っ青にして、はぁはぁと肩で息をしている。
急な発作にでも襲われたように、ワインレッドの紐リボンが結ばれた胸元をぎゅっと押さえた。
「ミズさん・・・?!」
ミズは気遣うような大石の声には応えず、少しだけうつむいた。

「・・・ゴメン、ちょっとやな事思い出しちゃっただけ」
少しの間があってから、落ち着いたのかミズはへへ、とか細く笑った。
「ミズさん・・・」
「ダイジョブ。それだけだから」
大石はずっと静観している手塚に目をやる。
彼はまったく表情を変えず、相変わらずの厳しい顔つきでじっとこちらを見ているのみだった。
ミズはそれきり黙りこんで、ひざの上で組んだ両手をもてあそんでいる。
(『アンドロイド』・・・)

しばらく黙ってミズを見ていた大石だが、ぱっと手荷物のトランクの方に振り返った。そのままソファから立ち上がる。
どうしたのかと訝るミズと手塚を他所に、手に何かを持って、また戻ってきた。

「いっ、いいよ!そんなことしなくて!」
手に持っていたのは、白い絆創膏だった。ミズの右頬に、優しく手を添える。
破片で切ってしまった頬の傷。血が出ることもない、内部の赤や青のコードがちらちら見える、ある意味とても痛々しい切り口。
「やっぱり、痛そうだしね」
大石は笑って、頬の傷の上に絆創膏をぺたっと貼った。
あっけにとられて、ミズは言葉も出ずにぼおっと大石を見つめている。
「・・・あ、えっと」
「ん?」

「ありがと・・・」
「どういたしまして」

目を合わせた二人は、何とも照れくさそうに笑いあう。


そんな二人の様子に、手塚は厳しく張り詰めていた顔を少しだけ緩めた。







依然、館の外は濃い霧に覆われている。
ごおごおと強い風が窓ガラスを揺らしている。

(ふう・・・)
案内された浴室で、大石はシャワーを浴びていた。
多少なりとも雨に濡れて冷えた体が、お湯でぽかぽかと温まってくる。
「はあ〜・・・風邪ひかずにすみそう」
からからと扉を開けて浴室から出ると、脱衣所にはふわふわのバスタオルが置かれていた。
自分がシャワーを浴びている間に、ミズが入ってきて置いていってくれたのだろう。
ありがたいな、とその心遣いに大石の顔がほころんだ。

『ミズは人型ロボット、アンドロイドなんだ』

(・・・・・・)

彼女の皮膚の下の配電線、ビニールコーティングされた電気コード。
たしかにこの目で見たのに、まだ心のどこかで信じられないと思っている自分がいる。
「どうして・・・」
彼女は機械なのだ。
いくら人間そっくりでも、インプットされたプログラムどおりに動くロボットだ。
しかし・・・

『どちらさまですか?』

扉を開けた、あのときの笑顔が忘れられない。
はぁ、とため息をついて、ズボンのファスナーをあげる。

そのとき。脱衣所の外でバタバタバタ、と足音が響いた。
「おーいしー、着替えある?なんなら手塚の服持ってくるけど!」
ガチャッ!と勢いよく扉が開けられる。
着替え途中だった大石は真っ赤になってとびずさった。
「うわぁっ!!」
「え・・・あぁ、ごめんっ!」
ミズも赤くなって慌てて背中を向ける。
「ご、ごめん・・・!おれ、すぐ出てくから」
「あ、いや大丈夫・・・ちょっとびっくりしただけだから」
走って出て行こうとするミズを、大石はおそるおそる止めた。

「もう・・・下、履いてるし」
ミズもおそるおそるこちらに振り返った。そして、ぷっ、と吹き出す。
大石も肩を揺らしてくすくすと笑った。
「はは・・・ごめんね大石。周助にもよく『ミズは慌て者すぎ』って言われてる」
「ぷっ、いや、わざわざありがとう」
「着替えもちゃんとあるみたいだね。前の服貸してよ、洗濯しといたげる」
ひょい、と何でもないことのように手を差し出される。
「何から何まで本当にすまない、ありがとう」
大石は雨に濡れた服を拾い上げると、ミズに向かって差し出した。ミズが歩み寄ってその服を受け取ろうとする。
「あれ?」
何かに気付いたように、ミズが眉をひそめる。
「ミズさん?」
ミズの視線は、渡された服ではなく大石自身に向けられている。
「おーいし!その背中っ」
ぐい、と腕を引っ張る。
抗う間もなく反転された大石は、バランスを崩して少々よろけた。
タオルがはだけて、大石の背中があらわになる。

「・・・・・・」
「・・・なに、これ」
大石の背中。
程よく筋肉の乗った広い背中には、幾重もの赤い傷跡が走っていた。鋭利な刃物で切りつけられたような跡が痛々しく残っている。
幾本も、幾本も。
あまりに痛々しい様子に、ミズはぞおっと血の気が引くのを感じた。
「大石・・・こんな、怪我してるじゃんかっ!」
「違うんだ、大丈夫だよミズさん」
「何が大丈夫なんだよ、手当てしなきゃ・・・!」
「ミズさん」
悲痛な顔で駆け出そうとするミズの手を掴んで、大石は横に首を振る。
「大丈夫だよ」
落ち着いた声に、ミズは黙らざるを得なかった。
そうだ。
ミズは風呂に入る前に大石がトランクから救急セットを取り出したのを思い出した。手当てする道具なら、彼はきちんと持っているのだ。
しかし傷口には、包帯一つ巻かれていない。

「昨日今日に、ついた傷じゃないから」


大石がシャツを羽織るまでの間、ミズは少し離れたところで不安げに大石を見つめていた。
「・・・ミズさん、本当に大丈夫だよ?」
ボタンをとめながら大石は首を傾げて苦笑する。
ミズはおずおずといった様子で、大石に近づいてくる。
「・・・ほんとに?」
「ああ。本当はとっくに治ってるんだ。ただ跡が残っちゃって・・・びっくりさせたな、ゴメン」
「ううん・・・痛い?」
「とんでもない、もう全然。とっくの昔の傷なんだから」
「でも、昔は痛かったよね?」
ミズは悲痛な顔で、大石に言い募った。必死な様子に、大石のほうが面食らう。
「ミズさん?」
「おれ、痛覚ってつくられてないから」
大石ははっとした。
「人が『痛い』ってゆーの、分からないんだ。けど・・・すごく『痛そう』」
目を伏せて、ミズは大石の背中に手を伸ばした。
そのままゆっくりと手を上下する。いとおしむように、慈しむようにじっと大石の背中を撫で続ける。
体温のない、人工の手。
なのになぜか、あたたかかった。
「痛いの痛いのとんでけ〜って・・・あ、もう今は痛くないんだっけ」
じっと背中を撫で続けるミズに、大石は困ったように笑って、ぽんとその頭に手をのせた。
メイドキャップが、くしゃりとつぶれる。
「・・・ミズさんのほうが、よっぽど『痛そう』な顔してるよ」
「ありゃ・・・」
眉を八の字にして、ミズは力なく笑った。



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